
母のデイサービスの日、お迎えの人を待たせたまま、自分の部屋で上着のファスナーをはめようとしている。自分でしないと気が済まない気難しい性格とイライラしている様子に、こういう時は手伝わないほうがいいとわかっている。
私はと言うと、玄関で待ってくれているスタッフさんに申し訳なくて仕方ない。
ましてこのあと、もっと時間のかかる靴を履く作業がある。
ファスナーに固執している母にたまりかねて
「それさ、車の中でゆっくりしたらどう?先に靴を履こうよ」と言ったとたん
「どうあるのよ、少しくらい!待たせとけばいいのよ!」オイ、オイ...
もう、赤面する思いですヨ。あなたには見えなくても、すぐ玄関に居るスタッフさんにまる聞こえだからー。
母は強度の難聴なので、気配がわからない。
もう限界、と私が手を出そうとした瞬間、すーーとファスナーが閉まった。
ヤレヤレ。母はおもむろに澄まして玄関におでましになり
「あらぁ、おはようございますぅ」うわっ! なんなんだ、あんた誰?という変貌ぶり。いつものことながらこの役者ぶりには腰を抜かしそうになる。
スタッフさんもさすがプロ、何事もなかったように「今日は寒いですねー」などと笑顔で社交辞令をカマス。
母のような利用者ばかりだと、分刻みの送迎の時間にさぞかし影響が出るにちがいない。
母を送り出すと、何時の頃からかホッとする自分に気が付くようになった。
少し前まではそんな思いは感じなかったのに。
いつの間にか私の中で母の存在が負担になってきているようだ。
耳も聞こえなくなり、それには関わらず人の話を聞かなくなるし聞いても理解できなくなる。自分の概念に殻のように閉じこもり、何がしたいのか楽しいのかも、もうわからなくなってきた。
必要な伝達以外、ずいぶん長い間会話をしていない気がする。
仕事をしてきた中で、補聴器を嫌がってつけないと困っていた家族にも、コミュニケーションの方法を伝えてきたはずなのに。
自分の親にはそれが通じない、いや出来ない。
デイから帰宅時、時間が少しずれたり、私がうっかりして玄関に出るのが遅くなると、母は近所にも聞こえるくらいの大声で
「ただいまー!かえってきたよー!」と叫ぶ。
こんなときは「あ、うっかりしてた」と思うより先に
ムカッーー!!と腹が立ってしまう。
なんなんだ、このパフォーマンスは、いったい何が言いたいのだ。
自分ちに帰ってきたことが嬉しいのか? 母上をお迎えしろ!なのか、スタッフさんの手前、家族が出迎えないことが恥ずかしいのか?
もうーー、母がだんだん宇宙人になる。