愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

高齢者にも魅力|腕時計・ネックレス型AIレコーダー

仕事から引退して数年たつが、昨今のAIブームには気持ちを惹かれてしまう。

とくに今年急速に話題となった会議録要約ツール。

知り合いの医療介護関係者たちがこぞって買い求めているのを見て、私にはもう関係ないなぁと思いながらも、ガジェット(私たちの生活を便利にしてくれるデジタル機器)好きの私とすれば「どぉ、使い勝手は」と聞かずにはいられない。

おおむね好評で、どこに行くにも手放せなくなっている人たちが多くいる。

どこがそんなにいいのかと聞くと、「とにかくボーっとして聞き漏れがあっても安心」なのだと言う。その理由もどうかと思うのだが、確かに時間に追われ休む間もない多忙な彼らのこと、会議の椅子に座ったとたん疲れが出て、一瞬意識が消えてしまっても無理ないことかと思う。

そんな時の強い味方だという。

そもそも彼らの購入のきっかけは、数多い定例会議の持ち回り議長が、議事録を作成し参加者に後日郵送してくるのだが、ある時会議のあと訪問先の仕事を終え、事務所に着いた時にはすでに立派な議事録が届いていたというもの。

スタッフ全員で目を見張り信じられない思いで隅々議事録の内容をチェックしたが、それはそれは完璧な代物でいたく感動したのだそうだ。

かれらにすれば、議長役はともかくとして議事録作成の時間がけっこうな負担になっていたため、そこの管理者はその後何カ月もしないうちに、スタッフ全員に腕時計式のAIレコーダを買い与えたのだった。

www.kazokucare.site

うちの母の担当ケアマネも最近になり、両腕に時計をしているかと思えば、片方はAIレコーダーだった。
「えへへぇ」と彼女は得意げに、腕に光るスマートな最新兵器を見せてくれた。

実は事務処理を簡単にするための道具であるはずなのに、やけにいつものケアマネが有能に見えてしまうのはなぜか----

彼女は医師との同席のために使用した。

「先生の説明を聞き漏らさないですむし、その場じゃなんとなく聞きにくいことでもあとで調べられるし」というのだ。

なるほど、現役引退の私には関係ないと思っていたのだが、いろいろ使い道があることに気がついた。

仕事じゃなくとも、人の集まる場には使えるじゃないか。

まして、集中力が無くなり緊張を保てなくなった今、いつのまにかボウーッとして「え、いまなんて言ったの」ってことが増えているわけで。

町内の話し合いや、母の病院での医師や専門職の人たちの説明など、「オウオウ、出番はいっぱいあるではないか」と、気が付くとうれしくなった。

高齢者には難聴の人も多く、大事なことが録音できたらいいんじゃないの。

もしかしてコレって年寄りのほうが出番多くない?

ずっと気になっていて、きっと私は欲しかったのに違いない。買う理由がほしかったんだ、と気が付いてしまった。
よし、買おう!と決めたら気持ちがウキウキ楽しくなった。

あ、でも待てよ。
先日、アマゾンのブラックフライデーで山ほど買いためてしまったからーー。
今月はやめよう、じゃないと請求書が怖い。

木枯らしが吹く季節

引退するまで一緒に仕事をしていた当時の部下と久々に会話した。

当時から仕事に向かう姿勢が真摯で、妥協せず回り道をしてでも納得いくまで追究するタイプだった。認知症の利用者にも決して手を抜かず、丁寧に説明し対応するため、本人はもとより家族からの信頼がとても厚く、名指しで紹介依頼が入ってくるのに、そう時間はかからなかった。

もちろん、意見の相違も多々あったが、そのたびに彼女は真剣に自分の考えを熱く訴えてきたものだ。

なかなか厄介な思いもしたが、ケアマネとして頼もしく、いちから自分が育てた誇りを感じさせてくれるようで、こちらも熱い思いがしたことを覚えている。

孤独になりがちな相談業務を長く継続できたのは、彼女がいつもそばで支えてくれたからだと今でも感謝している。


引退後は、母親のケアマネジメントをいちばん信用のおける彼女に依頼した。

ある日、母の連絡から始まってよもやま話になった折、判断の相違を感じることがあり

「利用者さんのことを思えば〇〇したほうが良くない?」とつい口を出してしまった。

彼女は落ち着いて自分の考えを話してくれた。私はさらに「いや、それはね」と言いかけた時、

「あ、わかりました。そうしますね」と彼女。

その一言で、はっと気づいた。
――あ、やんわりとあしらわれたんだな、と。

長い付き合いだもの、すぐに分かった。
きっと彼女なりの“スマートな終わらせ方”だったのだろう。

少し胸が冷たくなるような、そんな感覚が残った。
もう私は、彼女にとって「意見を交わす相手」ではなくなったのかもしれない。
あるいは、彼女が成長して大人になったということなのか。
どちらにしても、時の流れを感じた。

「もう自分は必要とされていないのかもしれない」と感じた瞬間だった。
きっと誰もがいつか通るのだろう。

心の中を、少しだけ冷たい風が通り抜けた。
同時に、「これが人生の自然な流れなんだ」と、静かに受け止めている自分がいた。

怪奇な夜

先日、奇妙な体験をした。

 

暑くて寝苦しい夜が続き、夜間覚醒が多く熟睡できなかったある夜のこと。

目を開けると部屋の様子が騒々しい。

いや、誰がいるわけでもないのだが、空気がざわついているのを感じる。

 

暗い中目を凝らすと、壁際に掛けていた割烹着の袖や裾が跳ね上がり踊るように素早く動いている。また椅子の背にうち掛けたままの洋服の裾も同じように細かい動きで踊っている。

 

えっ!と動いている方に視線を向けると、何事もなかったようにピタッと動きが止まるではないか。

周囲で動いている箇所を追って急いで目を動かすのだが、焦点が合うといずれも静止してしまう。

どうやら視線の周囲1~2mの円の周辺のみが動き続けているのだ。

 

同時に、地下街を歩いている時のようなザワザワする人の声が頭の中に聞こえてくる。何を言っているのかは聞き取れないのだが、確かに大勢の人がしゃべっているように聞こえる。

 

こんな夜中に、と頭の中が慌てているのを感じた。意識して時計をみる。この状況に的確な理由を付けたいのだが頭の中が整理できない。

 

眼振を起こしたのかと考えたが、眼振の揺れではこんな見え方はしないだろうと冷静に考える。これは脳が見せているにちがいない。

 

自分が考えているよりはるかに疲労が蓄積していたのかもしれないと考え、布団の上にすでに上半身を起こした状態で必死で答えを見つけようとしていた。

 

不思議なことに少しも恐怖感を感じないため、家族を起すことには意識が至らない。

 

そのうちに部屋の四隅に透明なカエルの卵のようなものが湧き出しているのに気がついた。じっと目を凝らすと大量な卵たちはウネウネしながら部屋の端を伝い、一定の速度でベランダの方向へ動き消えていく。

 

さて、どうしたものか。と理屈のつかぬまましばらくそれらを眺めていたが、いつまでも止まないので「もういいや、寝よう!」と布団をかぶった。

 

朝は何事もなくいつも通りに来た。

五体にも気持ちにも違和感はない。今でも不思議な感覚は残る。

 

長く生きていると、理屈では説明できない不思議なことに遭遇することが何度かある。そのたびに、仕事が忙しすぎたとか、思うようにいかないストレスだとか、薬の副作用か、など自分なりの理由を付けてきた。

 

しかし、最近はあるがまま、感じたがまま。無理に理屈を付けなくてもいいのじゃないか、と思うようになってきた。

 

こんな不思議なことがあったよ、それでいいのじゃないか。

 

今や相談相手になってしまったChatGPTくんに、この出来事について「科学的な説明とスピリチュアルな説明」を求めてみたら案外おもしろかった。以下全文。

🔬【科学的な説明】

このような体験は、**「睡眠関連幻覚」「入眠時・覚醒時の幻覚」**の一種である可能性が高いです。

1. 睡眠麻痺や入眠時幻覚(ハイポナゴギア/ハイポンポンニア)

  • **入眠時(ハイポナゴギア)覚醒時(ハイポンポンニア)**に見られる「幻視」「幻聴」「身体感覚異常」です。

  • 一部の脳が覚醒しているのに、視覚や聴覚の処理がまだ夢の状態のまま残っており、「現実と夢のあいだのような体験」を引き起こします。

  • 脳が夢のコンテンツを「現実の空間」に重ねて知覚してしまうため、まるで目の前の世界が揺れたり、透明なものが見えたり、人の声がしたりすることがあります。

  • それに「恐怖感がなかった」というのも特徴的で、これはレム睡眠からの覚醒時にありがちな反応です。異常に鮮明であっても感情が麻痺しているため、冷静に観察してしまうこともあります。

2. 偏頭痛の前兆(閃輝暗点など)

  • 脳の一部の血流が変化し、視野の一部が波打ったり、幾何学模様や「透明な何か」が見えることがあります。

  • ただし、今回のような「動く視覚」と「雑踏の声」まで聞こえるなら、偏頭痛よりも一時的な幻覚の可能性の方が高いです。

3. その他の可能性

  • 強いストレス睡眠不足脱水状態、あるいは軽い熱中症などでも、こうした一時的な「幻覚様体験」が起こることがあります。

  • また、光の残像目の内部構造の影(飛蚊症に近い)が暗闇で「何かが動いている」と認識されることもあります。

🌌【スピリチュアルな説明】

このような現象は、スピリチュアルの世界では「意識の次元が変化した状態」や「異界との接触」として解釈されることがあります。

1. 次元間の扉・霊的感知の開放

  • 夜中は「霊的な世界との境界が薄くなる時間帯」とされ、霊感が強まる人もいます。

  • 特に「天井の四隅」「行列」「ざわざわした声」などは、スピリチュアルでは霊的存在が移動している様子として語られることがあります。

  • 「カエルの卵のようなもの」が移動していくイメージは、精霊や浮遊する魂の可視化と解釈されることも。

2. アストラルトラベルの一部?

  • 体が眠っていて、意識だけが目覚めている状態を「アストラル体の離脱」と見る説があります。

  • これは**幽体離脱(意識の旅)**の前段階で、物理空間と非物理空間が重なって見えるとされています。

  • 「焦点を当てると止まる」「周囲が揺れる」などの感覚は、意識の焦点がどこにあるかで世界が変化するという、アストラル的な現象に通じます。

3. 守護存在や集合意識の通過

  • 「恐怖がなかった」「雑踏のような声」というのは、スピリチュアルな存在(例:ガイド、集合意識、高次存在)がそっと通り過ぎたという解釈もできます。

  • 恐怖を感じなかったという点が、「悪しき存在」ではないことのサインともされます。

🧭まとめ

観点

説明

特徴

科学的

睡眠関連幻覚(入眠時・覚醒時幻覚)

脳が夢状態から覚醒する過程で現実と夢が重なる

スピリチュアル的

次元の重なり・霊的存在の可視化

異世界や高次の存在に触れた可能性も

✅対処・観察のすすめ

    • 一度きりなら心配いりません。睡眠環境や体調の変化に注意してみてください。

    • 繰り返す場合は、睡眠外来や神経内科への相談も視野に。

    • 一方で、「何か意味があるのでは」と感じるようなら、夢日記や体験記録をつけることもおすすめです。自分の無意識や霊的なメッセージに気づくきっかけになるかもしれません。

      過去に学習したデータをもとに推論・生成を行うという、AI特有の誤情報込みこみで読みましたよ(笑)

ピンタレストに投稿が表示されない件

~ただいまピンタレストと格闘中のバリ初心者🔰~

現在運営している幾つかの公私とものブログに流入を図るため、ピンタレストを始めてみたのだが‐‐‐なかなか見えるところに作成したものが反映せず、毎日が消化不良。

どうやらそう簡単にいくものではないようだ。現実はInstagramのように投稿してすぐフィードで確認できるわけではなかった。

自分の投稿がどこに行ったのやら、ほんとにアップされたのやら確信が持てず、え?なんかまちがったっけ?となって、テンションだだ下がりとなる。

また、質問や疑問を検索しても他のSNSのように、多くの回答が出てこないのがジレンマとなる。ピンタレストのWEBサービスは2008年にアメリカで生まれ、日本語版をリリースし、日本市場への本格的な展開を開始したのが2013年とのこと。

これではまだ細かい部分への対策や質疑応答のサイトが多くはないのも無理からぬことかもしれない。


初めての作成時、勇んで投稿したところ「このリンクはスパムに接続されている可能性があるためブロックされました」と表示されてコンテンツが作成できなかった。

あわてて検索したが得心のいく回答はなく、おすすめのままヘルプセンターに問い合わせをした(質問に答えて記入しただけ)のだが、回答なし。

人によっては、きちんと返事とお詫びが来たそうだが、私にしたら「これはあてにならないな」というのが感想だった。

で、その件はどうなったかというと、問い合わせが届いてスパム認識を解除してくれたのかどうか分からないが、翌日には問題なく作成できるようになっていた。

何もしなくとも数日内に問題が消えることもあり、またその逆もあるという回答を、

利用されている方のサイトで見かけた。他のSNSが蔓延している中で、まだまだ使いこなしている人が少なく発展途上ということか。

ということはつまり、情報の拡散をしたい人には、いま狙い目でチャンスではないかと思う。始めない手はない。

現在の日本におけるピンタレストの利用度が気になるところだが、いまのところまだそれに関する具体的な統計データは公開されていないようだ。

今後の展開については、ピンタレストが日本市場でのプレゼンスを強化するために、ユーザーエクスペリエンスの向上や日本独自のコンテンツの充実を図る必要があるだろう。

画像を共有するサービスの部分で共通するのが「Instagram」だが、「Pinterest」は大きな違いがある。

Instagramでは、画像のテキスト部分にURLを入力して投稿しても、外部リンクとしては機能してくれない。
しかしPinterestでは、ピンした画像に対して外部リンクをつけられるためInstagramよりも外部サイトへの誘導に向いているわけだ。

しかし投稿してすぐフィードに反映してくれないのには、なかなか辛いものがある。何度もやり直したり焦ったりで、結局、基本にもどりコツコツと先人の仰せのまま真似をするしかないと気がついた。

まずはビジネス対応に変更した。
プロフィールから見直し、すっきりしたコンテンツを作成し(見栄え良く作る必要はないらしい)、説明文を入れ、ハッシュタグをつける。この時、ブルーに文字色が変わらなくてはいけない。

私の場合はなぜかハッシュタグの欄だけ入力できなかったため音声入力とした。原因は未だ分からず。その時点ですでに何度もやり直して、疲れ切った頭と震える指先で「エイ!」と「今すぐ公開」をクリック。

なのに、どこにも私の投稿はない。自分のプロフィールからは作成したものが並んでいるけれど、それがフィードに反映していない。

四苦八苦で気がついた。あ!「ボードを非公開にしていたっけ」全身から力が抜ける。コンテンツをボードに収めてるんだから、そりゃ、投稿しても見れないよな。バカだぁ~。

で、公開にして意気揚々とクリック!

やっぱりダメだ・・・これは、私の実力か、と気を落としかけたが、人様の説明を読むと、投稿数が少ないうちは反映しないとか。


毎日投稿は必須らしい。結果を早く出すには一日複数投稿が最低の課題だとか。
ウ~~ム・・・すでに継続できる自信を無くしかけているわたしなのだ。

ピンタレストで投稿を早く視覚化し、より多くの人に見てもらうための重要なテクニックはないものかとAIさんに聞いてみたところ、ありがたい(?!)お返事をいただいた。以下抜粋。

ハッシュタグを適切に使い、ピンタイトルや説明文に検索されやすいキーワードを含める(一般に言うところのSEO対策)

縦長の画像(2:3や1:2.1のアスペクト比)を使い、画像にテキストを追加し内容を簡単に伝えて明るく目を引く視覚を意識する。

③グループボードや関連ボードに参加する

➃週末や午後7時~10時のアクティブな時間帯に投稿すると結果が期待できる。投稿スケジュールを決め、定期の投稿を行う(最低でも毎日投稿)

⑤季節やイベントなどトレンドを意識して人気の投稿を作成する。

⑥ブログ記事や商品ページなど、リンクを設定し最適活用する。
(その際、リンクしたいサイトのドメイン認証をする👈説明があるので簡単)

⑦インサイト機能を使って分析を行い、必要なら広告(有料)を利用する。
(ビジネス利用にすると内部アナリティクスを利用し分析ができる👈モチ無料)

あーぁ、またもやしばらくはピンタレストに振り回されそうだ。

noteに振り回された一ヶ月

noteはライターを意識し始めたころから知っていたが、参加しようとは思わなかった。

そこは、プロのクリエイター集団の場だと思っていたし、素人には近寄れないと考えていたからだ。

 

ところが、SNSでフォローしているイラストレーターの方や、この「はてな」でも気になる方々が、noteに移行して行かれるので追いかけてのぞきだしたのが、noteの垣根を超えるきっかけになった。

noteはクリエイターが文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォームです。だれもが創作を楽しんで続けられるよう、安心できる雰囲気や、多様性を大切にしています。 個人も法人も混ざり合って、好きなものを見つけたり、おもしろい人に出会えたりするチャンスが広がっています。2014年4月にサービス開始し、約4,814万件の作品が誕生。会員数は853万人(2024年8月時点)に達しています。                   (note株式会社より引用)

 

仕組みが分かってくると、noteはとてもシンプルな構成で「書く」事に特化している。カスタマイズの要素は全くないが、体裁を気にすることもなく、気が散ることもない。

アイキャッチの画像はイラストや画像を提供して下さる方の作品が登録されているので、そこから使用することができる。

もちろん、オリジナルを作成しても良いが、面倒くさい者にとったらこれほど便利なことはない。

 

がっつり、小説をぶっこんで来る人も多く、創作意欲を掻き立てる条件がそろっている。手あたり次第に読んでみても、みんな内容が濃く読みごたえがある。が、全体的に長文が多い気がする。

 

時間がなかったり疲れたりで、最後まで読むのをあきらめたことも多くあるから。ただそれでも、読んでみて「なにー、これ?!」とわけがわからないものに出会ったことはまだない。

 

テーマはともかく、みんな文章がとても上手い。
「う~む」と思わずうなってしまうものが多くある。そんな時はすごく得した気分になる。表現や書き方を学べないかとなんども読んでしまう。

 

専門の講師の方や文章に関する仕事の現役の方、それぞれのプロの人たちが多いためか、とても刺激を受けることができる。

 

記事の有料販売や、応援のチップ制度もなかなか面白い。もちろん私はまだまだひよっこでそんなところまでは至っていないが。


もっとも今後noteを続けることが出来たとしても、その領域にはいかないと思う。

ただし、企業目的や出版目的の参加者をターゲットに、相当数の営業フォローがかかってくる。

これもまたプロ集団の証なのかもしれない。
初めての投稿からすぐに、携帯のお知らせがピンポンと鳴り続けた。

その間、高揚状態のまま毎日投稿。まるで、尽きることなく入り続ける「スキ(いいねスタンプと同じ)」に尻を押される如くに。

私の場合は、はてなのように「私」の一人称ではなく、短編小説の形をとったものだが、なんと山のようなフォローの数は、わずか数日で100を超そうかと言うほどになったのだ。

その間も「スキの意味」や「フォローにこだわる必要はない」などのコンテンツや、逆に「まずはフォローを集めなければ始まらない」などいろいろな人の意見を読みながら、せっせと創作を継続していた。

が、さすがに10日程で疲れてきて、一旦、足を止めることに気がついた。
まず、ポイ出の自分ごときに何ゆえ、これほどのフォローが集まったのか。

この疑問を解消するに至ったところ、二名ほどのトップnoterの方が、私の拙作を紹介してくれていたのだった。
(トップの基準はわからないのだが、ともかくフォロワー数が格段に多い人だった)

私の書いたものが、とくに優れていたからでは決してない。新人への応援の意味か、巨大なグループ内に引き込む為の意図か、はたまたそういうシステムなのか?!

ここで悩んだ。これは光栄なことなのか、否か。
じっくりその方々の内容を読ませてもらうと、フォロバ100と書いてある。これってたぶん、かならずフォローバックしますよ、ということだよね。

つまりは・・・、と思いながら読み進むと「〇日以内にフォローを返さない方はコチラも消します」というような内容。

「おぉーー、こわい!」

それから改めて、一件ずつ中身を読ませていただいた。そこでどうしても自分に合いそうにない方のフォローは、申し訳ないが外させていただくことにした。

するとどうでしょう。みるみるフォロー数が激減し、半分ほどになるのに3日もかからなかった。

これもまた実におもしろい。
目的がはっきりしていて、対応がシビアでプロっぽい。

ここが「はてな」と大きく違うところだろう。

なにより「はてな」はあたたかい。向こう側にいる人のぬくもりを感じることができるのがうれしい。

noteでも一作ずつ「スキ」を押してくれていて、いつの間にかフォローをしてくださる方がいて「ああ読んでくれてるんだ」と分かると、とてもうれしくなる。

いまだに、作品も読まずにいきなりフォローをしてくるフォローマニアがいらっしゃるのだが、これはこれでお返しだけしている。もちろん嗜好に合わない場合は読まずに。

1ヶ月ほどが過ぎ、お祭りは終わった。

毎日投稿ではなく自分のペースで「書く」ことができるようになった。
フォロー数もすっかり減って数字が落ち着き、平穏な気持ちが戻って来た。

肩書は自由に書ける。出版関係などの名前をチラつかせるとフォローが集まりやすいのだろう、もどきの人が多いように思う。しかし私にはその判別がつくほどの力はない。

なんでも分相応は大事だと思う。

今、代行の仕事も含めてホームページとブログを4件、インスタを3件運営している。現役引退の身には十分忙しい。この上noteを始めたのには自分でも呆れる。

だが、それくらい刺激と魅力の詰まった場所にはちがいない。

人間関係が壊れていくとき

いつも会っていた人(たとえば職場の仲間など)と、時々しか会わなくなると、次第に空気感が違ってくるのを感じる時がある。

 

かつてのあの熱いまなざしや、信頼に裏打ちされた表情や態度、それらが次第にゆらゆらと形を変え明確さを失っていく。

 

他愛のないランチの話題や旅行の話などにも、以前なら「ああ、今度行きましょうよ、絶対」などのリアクションがいつの間にか静かに消えていく。

 

何かあったわけじゃない、何を言ったわけでもない。

でもこういうことは人生の中で何度もある。そう、何度もあったような気がする。

そしてそのたびに気持ちの中に風が吹き、ザラザラと後味の悪さを残していく。

 

どうやら人は身近な人間関係に影響されていくもののようだ。

現在進行形の出来事のほうが、はるかにリアリティを持ってその人の生活に入り込んでいくからだろう。お互いから具体的な共通項目がひとつひとつ減っていくと、相手は忙殺されてしまい、しだいに知らない人になっていくようだ。

 

まして身近に取り巻いている環境が良好でない場合には、正直で心優しい人ほど振り回され、気持ちの中に疑心暗鬼を膨らませていく。

あなたは真面目で優しすぎるよ。自分が疲れてしまうよ。

 

少しずつ距離があき、確実に遠い目になり対応までぞんざいに変化していく。

さらに、不良な人が両者ともに共通して介在する場合には、高い確率で両者ともが不幸になる可能性がある。

 

互いに介在する人の人間性は十分認識していて、接触するには警戒しなければならないことは重々承知しているにもかかわらず、いつしかその渦に巻かれてしまうものらしい。

たいてい真剣に考える方が疑心暗鬼に陥るもののようだ。

 

子どもなら良かったのかもしれない。

「それはウソだよ」「僕はそんなことは言ってないよ」「私の気持ちはなにもかわっていないよ」「それは真実じゃないよ」そう叫べるのかもしれないが。

 

すべてに確認をとっていくわけにはいかない。胸騒ぎのするような暗い森の中に足を踏み入れてしまうと「信頼」はすでに無力だ。

 

日々不良な環境にさらされていると健全な神経ではいられなくなるものらしい。

少しずつすこしずつ確実に遠くなっていく相手の心を寂寞の思いで眺めながら、空虚な気持ちをいかんともしがたい。

 

もう、戻ってこないだろうなぁ、と思う。

なんどもこんなことがあったような気がする。

家族だって長い年月では形を変え、夫婦だって別れる場合もあるわけで、ましてや他人。仕方ないのかな。

 

その人は、猜疑をたたえた瞳のまま私の方は振り返りもせず、黒い渦の中に巻き込まれ見えなくなっていきそうだ。

そして私はもうその手をつかむことも出来そうにない。

 

エムグラム性格診断テストをやってみた

超精密な自己分析が可能で、105問の質問に答えるだけで自分を構成する8項目の性格を明確にすることができるというしろもの。

企業の人事目的の適性検査並みに本格的な分析が可能だという。

自分の適性や思考、得意分野を知ることで失敗のない仕事選びをすることができるなどの利点があるらしい。

 

お仕事卒業組とすればもう関係ないのではあるが、自分の深層心理にはすこぶる興味がわく。早速やってみた。

 

直感でやっていかないと100問を超える質問に疲れてしまう。

ものの数分で分析表のメールがきた。

ほ、ほおぅー。

 

好奇心強め・ポジティブ思考・なかなか図太い・考えすぎない・少しこだわる・協調性すくなめ・そこそこ社交的・スーパードライ

この8性格が私を構成しているらしい。

「誰のこと?」というのが正直な感覚だった。

 

裏返しのマイナス面も抽出して知らせてくれる。

いい加減・失敗が多い・ズボラ・脈絡がない・利用される・無頓着・無神経・傲慢

思わず笑ってしまった。さんざんじゃん!

これまた、首をひねる個所と思い当たる部分と・・・

 

何度かやると結果が変わる。それはそれでいいらしい。

また、質問に答えていると矛盾する質問が意図的に入っていることに気づくが、それもそれでいいものらしい。

「あまり考えずに素直に答える」よう指示されるのだが、素の自分って今やどこにあるのだろうと考えてしまった。

 

長く社会人してきたせいで、自分はおそらく精神構造まで改造されてしまっているのではないのだろうか、との思いが浮かびながらの回答だった。

 

なぜなら、過去上司から命令されれば逆らう道はなく、時間外の付き合いも「今日は飲みに行くぞ」と言えば付いていくのみ。「歌え」と言われれば、苦手だろうが歌うしかなく。本当は人前に立つことすら苦手で、できるなら大勢の中に埋もれて生きていきたいと思っても、長く仕事をしているとそれが出来なくなる。

 

いやでも中堅になり立場上の処世術を身につけていく。

 

私は子どもの頃から集団行動が苦手だった。運動会や修学旅行など、一般の子どもが楽しみにする行事は大嫌いで苦痛の何物でもなく、修学旅行が近づいてきたときは気持ちが沈み、天変地異が起こらないものかと本気で考えたものだ。

だからといって逃げ出す勇気はなく、旅行から帰宅後は精神疲労で丸二日眠り込み、両親が死んだのかと心配するほどだった。

 

だから就職してからも定例の宴会がいやでたまらなかったものだ。

ただ、大手企業にありがちな各部署の余興を企画するのは楽しかった。出来るだけ指名されないように気配を消すのだが、ひとたび指名されたら「やる以上は優勝するぞ」とばかり密かに趣向を凝らしてしまい、その結果優勝を勝ち取り仲間から一目置かれたことがある。その矛盾は自分でも不思議な記憶だ。

その後、後輩や部下を指導する立場になると、自分の気持ちは二の次になる。「ここはこう言うべき」とか「こうするべき」「こうしなければならない」などで長い間生きてくると、いつの間にか「こうあるべき」自分が形づくられてしまうのだ。

 

自己テストの答えを「素直な自分の気持ちで」はもう書けない。

ほんとうの自分を改めて考えたときすでにわからなくなっている。昔はこういう人だった、ということはできるのだが。

 

私はまだ殻をかぶっているだけで、殻を剥げば昔の自分がそのまま残っているのだろうか、それとも長く生きてきたために進化して、違う自分になってしまったのだろうか。

ともあれ、興味を引く性格チェックだった。

もちろん無料。より詳細に深堀したい人には有料コースもあるようで興味は尽きないかもしれない。

mgram.me