愛犬と海と日常

あ~、やっぱり貧乏性は治らない。また忙しくなってきた~。

ものわすれのお年頃

一日の大半をモノ探しで使っている気がしている今日この頃。
右向いて左向いたら、もう目的を忘れている。


知人たちにその現状を伝えると、それまで(今より多少若いころ)なら「はは・・・いよいよボケたか」「そりゃ、危ないですよー」と笑い飛ばしてくれていたものが、いまや「ふーん、みんなそんなことあるよ、ねえ~」などと、返事の内容が変わりどこか同情の臭いを感じるのは気のせいか。

これは明らかに気を遣っている、もう冗談ではすまない年になったか、とひとり卑屈になっている。

 

頭の中が常時すっきりしないのだ。仕事をしていた頃は一日8時間勤務の縛りがあった。これが案外良かったのかも、と思う。
良くも悪くも片付かないことがらについて、一応の区切りをつけて一日を終え、次の日を迎えることができていた。今はというと、自由と引き換えに時間の制限がなくなった。

いつまでに何をしなければならないという縛りがないというのは、最高の自由であると同時に、よほど自分の生活や時間の使い方を律していかなければ、けじめも区切りもなくなっていく。

 

同時に物事がさばけなくなった。ような気がする。

平たく言うと自分で自分がドンくさい。それでまたイライラする。

たとえば、何かしようとすると取り落とし、そこが坂になっててどこまでも転がり、追いかける足がもつれて自分が転がって壁に体をぶつけ、痛い!と思ったとたんに、棚のものが頭の上に落ちてきた、というようなもの。

 

さらに、集中力が激減している。

PC作業の合間にも、ヤフーの芸能ニュース記事をつまんだりしてなかなか進行しない。

頭が疲れたら犬にかまってもらいに階下に降りる。やっぱり犬なしでは暮らせない。

無防備なイッヌ

最近見つけた犬漫画が感覚的に心地よく、犬好きって同じようなことをするんだと、ふ・ふ、と気持ちがあったかくなるのでこれも読まなくてはいけなく・・・脳みそが雑食で消化不良のようだ。

 

依頼された仕事も数多いわけではないので、追われることなくアレコレ目移りしながら消化することができる量。これがいけないのか?

予定が少ないと、何日も前からそのことが気になる現象が起きている。

いっそ、忙しくしたら時間に追われて集中せざるを得ず、余計なことを考えずにすむのかなぁ。やっぱ、それは違うような気がする。

 

まあ、何やかにやで間の悪い時間が継続しているような感覚がぬぐえない、もっとスマートに歳をとれないのかしらん。

おそらく、私はいま内も外もぐちゃぐちゃになって原型をとどめていないのではないかと思われる。

うーーん?! すでに原型がどうだったか、なにをして原型というのかそれももう定かでない。

もしかしてこれは、何度目かの脱皮のときか?!

常に自分の都合の良い考えと生き方が私の特技だ。

 

ここはひとつ、自分の持ち味を発揮する時かもしれない。これまでの価値観を変革し、新鮮な老人(?)に生まれ変わって、物忘れを武器に恐れず前進する! てか?