愛犬と海と日常

あ~、やっぱり貧乏性は治らない。また忙しくなってきた~。

断捨離戦争開始

                                                                                             

認知症の母が「ぎゃ~~んっ!」と悲鳴に近い叫び声をあげ、机に突っ伏して泣き出した。いや、厳密に言うと、泣きまねをはじめた。

 

母の部屋を片付け始めた私に怒りの抗議なのだ。
いやもう限界よ!抵抗しても無理だから。押し入れの中に要らないものを溜めすぎてるでしょう!

何年越しの懸案ごと、ついに母の部屋の断捨離にとりかかったのだ。

「私が死ぬまでこのままにしておいて」と言っていた母だったが、来月は95歳になる。言うとおりにしていたら、こちらの寿命の保証がないことに気づいた。同時に体力のあるうちにと焦りを感じ、春のポカポカ陽気に思いきって行動に移すことにしたのだ。

当然、いきなりではなく事前数回に分けて説明し、本人も納得済みのこと。
だったはず・・・が、である。

全力で癇癪を起し、反論がことばにならない母を冷静に見る私。十分予想範囲内だぞ、そんなことで驚きはしないよ。あーー、嫁でなくて良かった。

 

ひとしきり母のデモンストレーションが止んだあたりで「もう自分で出来ないでしょう、だから私が代わりにしてるのよ。勝手に捨ててはいないでしょ、感謝しろとは言わないけど、悲鳴上げられることはしてないよ」と冷ややかに言い放つと、静かに「すんません」と母。
あー、ひどい娘だなぁ。しかし娘にしかこれは出来ないことと、心を鬼にする。
親子の戦争は他人と違って、認知症の老人には良い刺激になる場合がある。泣きわめくのもある種のカタルシスになる、と自分を正当化する。

 

今日一回で終わるわけはなく、手を入れたらさらにモノがわいてくるようにあふれてきた。数時間格闘したがキリがないので、とりあえず本日はここまでと区切りをつけた。

「ご飯できてるよ」と昼食に呼ぶと、明るい返事でリビングに入りながら、なにやらつぶやいている。ソッと耳を立てると「なんて意地がわるいの」「・・・」
笑顔の裏側でつぶやく母の言葉にびっくりすると同時に、プッと吹きだしてしまう。
ひどい難聴だから自分の声が漏れていることも自覚がないのだろう。
「心の声、大きいよ」とひとり笑ってしまった。


現役のころ、重度の認知症で「うちの娘は鬼嫁! もう意地が悪いったら!」顔をゆがめて、毎回訴えていたバアちゃんを思い出す。娘の悪口に命をかける以外は、冗談好きで人懐こく、周りを明るくする魅力的な人だった。
「そうか、こういうことかぁー」

 

うちの母も最近は被害妄想が顕著になり、自分の意に沿わないことはすべて家族が自分を虐げている、意地悪をされているととらえている様子。

 

自室とは別に、母が寝室としてだけに使用している部屋は、もともと7年前に他界した父の部屋だった。施設に入所し病院で最後を迎えるまで、長く介護生活を過ごした部屋だった。
胃腸が弱かった父のために室内にトイレを増設し、クローゼットなどを設置した。
が、父は最後まで、昔のままの大きくて重いだけの洋服ダンスしか使わず、頑固な父が認知症になったため、生存中は父のものには何も触れることができなかった。

 

父の死後ひと段落して、遺品を片付けようと洋服ダンスを空けたら、そこには父のものは何もなく、すでに母の膨大な衣装でいっぱいになっていた。

母はさっさと父のものを処分し自分が使っていたのだ。母には昔からこういうところがある。さらに母は「私はここで寝る」とプラス一部屋を陣取ってしまった。


当時私たち夫婦も仕事をしていたので、なし崩しに今に至ったのだが、母の認知症が進むにつれ、片付けられない母の部屋は、すでに荷物があふれ大変なことになってしまったのだった。


いよいよ戦争勃発!
ひともんちゃくの後、部屋をのぞくと母は、入浴後にゆったりテレビを見ていた。もう今日のことは忘れてしまったようにみえる。


一晩眠って明日になったら、何もかも忘れてしまっていいよ。
この戦争はまだ始まったばかりだからね・・・♪