私が出かけるとき、母はもう部屋から出てこないことが多くなった。
テレビの前のリクライニング椅子に座ったまま、顔だけこちらを向けおどけた調子でいってらっしゃいの代わりに「ばいばーい」と言うようになった。
私はというと、不愛想に「行ってきます」とつぶやいて玄関をでる。
バイバーイを聞くと胸が騒いで苦々しい思いになるのだ。
まだ寒いうちから部屋の引き戸を半分空けて、常に私の出入りを確認している母がうっとうしくてたまらなくなる時がある。
どこに行こうが、何をしようが放っといて!
玄関に座ってする作業や靴を履く間や出かける準備の間、傍に立ったままじっと見おろす姿に苛立ってしまう。
顔を見ないようにしていながら、母が突っ立っている足元や導線の安全を無意識に確認している自分にも腹立たしい。
その日のメンタルの調子が悪い時は、母に気付かれないようにそっと玄関を出ることが多くなった。
使った靴ベラをうっかり落としたり玄関で手間取ったりしたとき、気配を感じて母が椅子から立ち上がる様子が分かると、嫌悪すら感じるときがある。
私は留守の間の母の心配などしていない(きっと、断じて・・)
言っても聞かないし、また短期記憶もなくなった今、何が起きたとしても受け入れるしかない。かといって、私にも生活がある。四六時中母についているわけにはいかない。在宅で老後を過ごす以上、それはとうに確認し合ったこと。
しかし出かける間際に、93歳になる母の「バイバーイ」はかなり胸を刺す。
たちまちいろんな思いを去来させてしまう。
もしかしたらこれがほんとの「バイバイ」になるかもしれないと、とっさに感じてしまうからだ。
「あれが最後だったね」と葬儀の中で話すのだろうか、など車で移動しながら、私の妄想はどこまでも広がっていく。
そして急に涙が出てやりきれない思いに勝てなくなるのだ。
帰宅時はいつも、どこかドキドキしながら玄関を開ける。
すると、のんきな顔で「おかえりー」という母が居る。
途端にまた理由のないいら立ちが胸に沸き、私はまた不機嫌になる。