愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

海そばの部屋から始まったもの

思えば二年前、海そばの部屋を借りたのだった。

 

長年の仕事を引退後、今まで福祉どっぷりだった生活から違う世界を見たくて、また今まで出来なかった、仕事の記録以外の「ものを書く」ということをしたくて。

 

で、手始めにクラウドソーシングの大手に登録したところ、記事は流用されるわ、納品後に約束の対価が払われず、問い合わせようにも会社自体がなくなっているわで、さんざんひどい目にあわされ(あくまで私の場合デス)、嫌な思いで登録を削除したのだった。

 

しかし、数件目の依頼で一度書きたかった本を出してもらえたことは、その後の経験の中で大きな力となった。もっとも版権はその会社にあり、自分の著書でありながら売れても印税は入らない。なにもわからないままサインをしたのを記憶している。
だが、そんなことは良い。名もなき者の著書など売れるわけもないのだから。

 

自分の書いたものが手元にあるだけでその後の生き方につながり、今後を示唆するものに成り得た。

それから数件の依頼を受けて、自称ライターまがいの生活をしているが、日々試行錯誤。相変わらずマンツーマンでwordpressの先生についてお勉強を継続しながらなのである。

 

最初から思えば、先生との距離もずいぶん縮まった。より気さくに公私ともの話ができるようになり、ネットやAI や、記事作成に便利なサイトを教えてもらうなど、楽しい会話から刺激を受けられるため、今では大事な時間になっている。

人知れず庭に咲いているドクダミ草の花が可憐

ブログはこの部屋から始まった。

 

自分の中の思いを整理したいのもあり、書くことを日常にしてみたかったから。

「はてな」は雑記ブログとして、その時々の思いを書くことができるので、気持ちの消化剤になっている。

 

その他に、今まで仕事としてみてきたもの、感じたもの、現役のころは表現できなかったことなど書き残したい思いが強くなり、福祉の専門職向けとサービスを利用する方たち向けのサイトなど、それぞれの分野で三サイトをかかえてしまった。

 

また、創作の部類を書きたくなったときは、巷に投稿できるサイトが数々ある。

「小説家になろう」やKADOKAWAとはてなのコラボである「カクヨム」は有名なところだろう。

新人発掘を目的としており、若い人には、と言いたいところだが、長年の仕事を終え、時間とじっくり向かいあえる、これからのなが~い老後を過ごす人にこそ、魅力的なサイトではないだろうか。

じつはまだ、いずれも投稿したことはないが、いつかできたらいいなあと思っている。

 

軸はぶれていなくとも、時々の気分や環境変化で書きたいジャンルは変わるもの。
そのひとつひとつを、適材適所に投稿する先があるというのは、幸せな時代になったものだ。

 

ひと昔前は、自分の作品を人に読んでもらうには大変なことだったろう。

まず、原稿用紙に字を埋める作業が今や考えられない。

ペンダコを作ることもなく便利な世の中になったものだが、代わりに私は、漢字の多くを失念した。パソコンがなければ、文字が書けないかもしれないという恐怖がある。

 

ともあれ、収入には程遠いが、どっぷりと書くことに浸かれる環境ができた。

それは内面の発露であったり、誰に課せられたわけでもない課題や義務だったり、救いを求めたり、言葉や文字に変えることは何よりのカタルシスにちがいない。

 

畑中淳の言葉がまた頭をよぎる

「書かずにいられない、書くことが目的ならば、なぜ作品を発表するのか」

 

その部屋も明日で引き払う。

二年間、いろんな経験をさせてくれた部屋である。

会社を引退後に懸念していた心身の切り替えも、長年染みついた仕事の習慣もいつの間にか消え、長い老後のライフスタイルがおぼろげに見えてきて、もうこの部屋を卒業する。