愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

高齢者にも魅力|腕時計・ネックレス型AIレコーダー

仕事から引退して数年たつが、昨今のAIブームには気持ちを惹かれてしまう。

とくに今年急速に話題となった会議録要約ツール。

知り合いの医療介護関係者たちがこぞって買い求めているのを見て、私にはもう関係ないなぁと思いながらも、ガジェット(私たちの生活を便利にしてくれるデジタル機器)好きの私とすれば「どぉ、使い勝手は」と聞かずにはいられない。

おおむね好評で、どこに行くにも手放せなくなっている人たちが多くいる。

どこがそんなにいいのかと聞くと、「とにかくボーっとして聞き漏れがあっても安心」なのだと言う。その理由もどうかと思うのだが、確かに時間に追われ休む間もない多忙な彼らのこと、会議の椅子に座ったとたん疲れが出て、一瞬意識が消えてしまっても無理ないことかと思う。

そんな時の強い味方だという。

そもそも彼らの購入のきっかけは、数多い定例会議の持ち回り議長が、議事録を作成し参加者に後日郵送してくるのだが、ある時会議のあと訪問先の仕事を終え、事務所に着いた時にはすでに立派な議事録が届いていたというもの。

スタッフ全員で目を見張り信じられない思いで隅々議事録の内容をチェックしたが、それはそれは完璧な代物でいたく感動したのだそうだ。

かれらにすれば、議長役はともかくとして議事録作成の時間がけっこうな負担になっていたため、そこの管理者はその後何カ月もしないうちに、スタッフ全員に腕時計式のAIレコーダを買い与えたのだった。

www.kazokucare.site

うちの母の担当ケアマネも最近になり、両腕に時計をしているかと思えば、片方はAIレコーダーだった。
「えへへぇ」と彼女は得意げに、腕に光るスマートな最新兵器を見せてくれた。

実は事務処理を簡単にするための道具であるはずなのに、やけにいつものケアマネが有能に見えてしまうのはなぜか----

彼女は医師との同席のために使用した。

「先生の説明を聞き漏らさないですむし、その場じゃなんとなく聞きにくいことでもあとで調べられるし」というのだ。

なるほど、現役引退の私には関係ないと思っていたのだが、いろいろ使い道があることに気がついた。

仕事じゃなくとも、人の集まる場には使えるじゃないか。

まして、集中力が無くなり緊張を保てなくなった今、いつのまにかボウーッとして「え、いまなんて言ったの」ってことが増えているわけで。

町内の話し合いや、母の病院での医師や専門職の人たちの説明など、「オウオウ、出番はいっぱいあるではないか」と、気が付くとうれしくなった。

高齢者には難聴の人も多く、大事なことが録音できたらいいんじゃないの。

もしかしてコレって年寄りのほうが出番多くない?

ずっと気になっていて、きっと私は欲しかったのに違いない。買う理由がほしかったんだ、と気が付いてしまった。
よし、買おう!と決めたら気持ちがウキウキ楽しくなった。

あ、でも待てよ。
先日、アマゾンのブラックフライデーで山ほど買いためてしまったからーー。
今月はやめよう、じゃないと請求書が怖い。

「また監視してる!」母の視点で見る“介護の日常劇場”

まったく、またあの人が私を見張っているよ。
朝起きてから寝るまで、部屋のスイッチ一つ自由にならないんだから。

デイサービスやショートステイの職員さんはみんな優しくて気を遣ってくれるのに、家に帰るとこの娘だけはいつも喧嘩腰。

……あぁ、そうだ、この人は私の娘だったんだ。どこかの使用人にしてはあまりに偉そうにしてるから変だとは思ってたけど、時々忘れちゃうのよねぇ。

それにしても、娘にしてはちっとも優しくないじゃないの。
子どもの頃はあれだけ可愛がってやったのに。仕事に行く前にバタバタしながらも、毎朝手作りのお弁当を欠かしたことなかったのにねぇ。

それなのに、今の私はどうだい。噛み応えもない、材料もよくわからない“やわらかごはん”ばかり食べさせられて。どうせ自分たちは裏で美味しいもの食べてるんだわ。

「エンゲがどう」とか「全粥とソフト食に」なんて、医者に言われたからってなんでも従わせようとして。
私はまだ歯がたくさん残ってるんだから、なんだって食べられるのに。

なのにこの人ったら、「また肺炎で入院するよー」なんて私を脅すのよ。

それに、私はパンが嫌いだって言ってるのに、毎朝出てくるのはパンがぐずぐずに浸った牛乳みたいなスープ。
ヨーグルトだって、なんだかわけのわからない粉が混ざってるし。「タンパク源」とか「米ぬか」とか……残すとまた怒るんだ。

あぁ、何もかも自由にならない。
鰻と寿司が食べたいよー。

突然「今日は往診の日!」「お風呂の日!」なんて言うけど、もうちょっと早く言ってくれれば心の準備くらいできるのに。

文句を言えば「何回言ったらわかるの!」って怒るし。
私がそんなに忘れるわけないじゃないの。

お風呂だって、乱暴でイヤなのよ。背中をごしごし洗うし、いきなりお湯をかけるし。頭なんか、目や耳に湯が入りそうで毎回ひやひやするのよ。デイやショートではあんなに優しく洗ってくれるのにねぇ。

部屋から出たらすぐ寄ってきて、何やら言ってるけど、耳が遠いから聞こえないのよ。どうせまた悪口に決まってる。
私は壁づたいに歩けるんだから、そうそう転びゃしないのに、歩くたびに怖い目で見てくるんだから。

トイレから出れば「出た?」って待ち構えて聞いてくるし。下剤を調整してるとか言うけど、何を飲まされてるんだか。

今日も退屈な一日だった。
夜は「トイレに行くときは必ず戸を閉めて!」ってうるさいし。
戸を開けたまま用を足すわけないじゃないの。……まあ、そういえば何回か最中に電気がついて戸が閉まった気もするけど。気のせいよ、気のせい。

とにかく、あの人は意地悪なの。

今日のノルマ(?)はもういいわね。
さあ寝よう。

あら、シーツがふかふかになってる。
こんなのあったかしら?まあいいわ、あったかいから。

おやすみ。

木枯らしが吹く季節

引退するまで一緒に仕事をしていた当時の部下と久々に会話した。

当時から仕事に向かう姿勢が真摯で、妥協せず回り道をしてでも納得いくまで追究するタイプだった。認知症の利用者にも決して手を抜かず、丁寧に説明し対応するため、本人はもとより家族からの信頼がとても厚く、名指しで紹介依頼が入ってくるのに、そう時間はかからなかった。

もちろん、意見の相違も多々あったが、そのたびに彼女は真剣に自分の考えを熱く訴えてきたものだ。

なかなか厄介な思いもしたが、ケアマネとして頼もしく、いちから自分が育てた誇りを感じさせてくれるようで、こちらも熱い思いがしたことを覚えている。

孤独になりがちな相談業務を長く継続できたのは、彼女がいつもそばで支えてくれたからだと今でも感謝している。


引退後は、母親のケアマネジメントをいちばん信用のおける彼女に依頼した。

ある日、母の連絡から始まってよもやま話になった折、判断の相違を感じることがあり

「利用者さんのことを思えば〇〇したほうが良くない?」とつい口を出してしまった。

彼女は落ち着いて自分の考えを話してくれた。私はさらに「いや、それはね」と言いかけた時、

「あ、わかりました。そうしますね」と彼女。

その一言で、はっと気づいた。
――あ、やんわりとあしらわれたんだな、と。

長い付き合いだもの、すぐに分かった。
きっと彼女なりの“スマートな終わらせ方”だったのだろう。

少し胸が冷たくなるような、そんな感覚が残った。
もう私は、彼女にとって「意見を交わす相手」ではなくなったのかもしれない。
あるいは、彼女が成長して大人になったということなのか。
どちらにしても、時の流れを感じた。

「もう自分は必要とされていないのかもしれない」と感じた瞬間だった。
きっと誰もがいつか通るのだろう。

心の中を、少しだけ冷たい風が通り抜けた。
同時に、「これが人生の自然な流れなんだ」と、静かに受け止めている自分がいた。

お尻から脚の痛みは坐骨神経痛だった! 治療の記録

突然右足に疼痛がきた。
いや、よく考えると、数年前から違和感はあったような気がする。

座っていて臀部の骨が痛いとか、椅子から立ち上がった時、すぐには痛くて足が伸ばせないとか、そういえばいろいろ見過ごしてきた気がするなぁ。

 

足を地に付けると、ちょうど歯が痛い時のような、キーンとした突きさすような激しい痛みがお尻から右足を突き抜け、思わず声がでてしまう。

病院嫌いの私も、さすがにすぐさま駆けつけた。幸い車の運転には支障がない。

 

とりあえず、近くの外科に行くと、レントゲンを3枚撮られたが、目立った異常はなく、症状からの問診で「坐骨神経痛だねえ~」となった。

 

処方もなければ、極超短波(マイクロ波)による温熱療法と腰の牽引のみ。あまりに対処療法すぎる。もちろん激しい痛みは変わらず、2度ほど通ったがやめた。

 

次は整形外科とリハビリテーション科を持つ医院に行ってみた。

前の医院と違ってなんと患者の多いこと。開け放たれた入り口付近まで人が居て活気がある。これなら医師の経験値も高いだろうと期待!

 

下肢を下着だけにして、問診の後はちゃんと触診あり。「坐骨だけじゃない、いろんな神経だね。神経痛!」とのお言葉。どうしてこう、医者ってのは愛想がないのだろう。

まあいい、治れば良いと笑顔で対応する。

 

マジックのようなもので鼠径部と腿の中ほどにしるしを付けると、看護師に「レーザーと電気ね」と指示。え、注射じゃないのね。

みんな看護師の制服で、リハ科を掲げてるわりには理学療法士が居ないような気がするのだが...この際そんなことはいい。治ればいいのだ。

 

「はい、ここに上がって横向いてー」いや、だから痛くてできないんだってば。周りも似たような患者ばかり、これだけ多いといちいち一人に構ってはいられないのだろう。

 

「あらあ、痛いねえ、辛くない姿勢でいいですよぉ」ちょっと優し気な言葉に涙が出そうになる緊張感の中、レーザー照射と低周波治療が行われた。

これがリハビリテーションとして料金を取られるのね。なんか違う気がするけど、まいい、治れば。

 

医師が「お薬出すからね。これはよく効くよお」とカーテンの陰から笑顔で顔を出した。う~ん、このパターンは危険だ。素直でない私は、もらう前から思わず、薬に警戒心を持ってしまった。

 

その日からタリージェ(ミロガバリン)を飲んでいる。1日二回5mmずつ、一般的にそんなものらしいのだが。ところが、可愛い名前のわりには副作用が強烈だった。

● 傾眠、浮動性めまい、浮腫、体重増加、ふらつき、傾眠状態、意識消失、食欲不振、吐き気、嘔吐、黄疸(肝機能障害)、尿量減少、むくみ、全身倦怠感(腎機能障害)

これだけでも、寒気が走るのに「以上の副作用はすべてを記載したものではありません」だとー!

 

でも、痛い!だから処方通り死ぬ気で飲んだ。
二日目、眠れないほど痛かったのがずいぶん軽くなっている。
布団から体を起こすときにふわっと身体が浮く感覚があり、その後しばらくフワフワと足が地に着いていないような感覚が続く。
同時に気分がやけにハイなのだ。高揚感というか大げさに言うなら全能感のようなものを感じて、ずいぶん気分が良い。おもわず、これは麻薬か、と思うほど。

 

初めての感覚に戸惑い、これはヤバいと感じた。間違いなくタリージェのせいだ。タリージェはオピオイド(麻薬性鎮痛薬)のような「麻薬系」ではないが、神経障害性疼痛の治療薬で、たしか中枢性ではなかったか。とすると痛みの神経を鎮めるだけでなく、一部、脳にも作用する。

 

同じ系統の薬にリリカ(プレガバリン)があるが、現職の際に重度高齢者にほとんど処方されており、たしか依存性が強かったように思う。

気分がハイの間は、口が渇きのどの奥までカラカラになったような気がしていた。舌もパサパサになり口蓋に貼りつくようだ。喉が渇いて水が飲みたいのではないが水を求めてしまう。
これがそうか。タリージェはリリカ系の薬だから、しっかり中枢神経に作用している。

リリカに比べるとタリージェは依存リスクが少ないがゼロではない。
色々考えると、頭の中で恐怖が渦を巻き始める。
が、神経系の薬は初めてなので、怖いもの見たさに似た感覚もあり!?(ハイのせいか)

 

自分の身体で「以上の副作用はすべてを記載したものではありません」を証明したような体験だった。

その後数日で気分も口内の異常も元どおりになった。心配した反動の落ち込みもなく、自然にめまいもフワフワ感も消えた。と同時にまた、痛みが徐々にぶり返してくるのがわかった。薬に慣れたようだ。

 

「低周波で筋肉をほぐして、レーザーで痛みを取ろうねー」と明るい看護師さんの言葉を信じて、数日に一度の対処療法に通うことにした。

もうこうなれば長期戦だ。気長に付き合っていくしかないと覚悟を決めた。

デジタル終活対策、見つけました!

もしもの時に備えるブログやSNSの終活について考えたことはないだろうか?

ブログを運営していて歳を取ってくると、「もし自分に何かあったとき、このサイトはどうなるのか?」ということが気になってくるものだ。

ブログやSNSのアカウントがそのまま放置され、サーバー費用が延々と請求され続けたりしたら...さらに公開されたままの個人的な記事が、家族や親しい人の目に触れるのも気になる。

ある時期から、本気で気がかりになってきた。
というのが、家族にネット関係に長けたものが一人も居らず、それどころか我が配偶者はいまだに化石のようなアナログ人間だからだ。
最近ようやくネットで調べることやメールに馴染んできたところで、あてになりそうもない。


仕事で受けているサイトは、自分が現役のうちにどこかで終結すればよいが、趣味で開いたブログは、このはてなを入れて数個、またSNSも関連して何個か抱えてしまっている。

これは楽しみでもあるので、老後も続けたいのだ。いや、十分今でも老後なのでどうしても、もしものことが気になって仕方がない。

ネット上に「デジタル遺産」が取り残されることを考えただけで、ソワソワして落ち着かなくなってくる。
こうした不安を抱えているのは、どうやら私だけではなさそうだった。


以下は、国民生活センターの記事だが、60代で78.3%、70代が49.4%がインターネットを利用する時代。
それに伴い、死亡時にデジタル遺品を残すことになる人が増えると予想され注意喚起を呼びかけている。

今から考えておきたい「デジタル終活」-スマホの中の“見えない契約”で遺された家族が困らないために-

https://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20241120_1.html


で、今のうちに対策を考えることが重要だと気がついた。

どうしたかというと、プライベートのサイトやSNSについて、登録サーバーや、個人的なアカウント情報をぜんぶ一覧表にして書きだした。

パソコンの中に保存したところで、我が化石の配偶者には取り出せないと思ったからだ。で、「もし万が一のときは」と一覧表を化石に託したところ、「これを誰に渡すの?」と平気で言う。あ~あぁ!

将来に不安を持ったら保険に入るように、SNSアカウントやブログの閉鎖・データ整理などを代行するような専門業者はないのかしら、と思い、ChatGPTにおたずねしたところ、なんと「デジタル終活」をサポートするサービスが登場しているというではないか。

ようやくさがして見つけたのがこの貴重なサイト。
自分に合った保険を見つけたごとくに喜んでしまった。

同じ不安を抱える方が居られたら、ぜひご参考まで。

 

歳をとったなぁ、と思う時

少し、寒さが和らいだある日、いつものようにコートを着こんで外に出ると、予想外に汗ばんでしまった。

暖かい大寒の日、愛犬と一緒に朝の散歩に出かけるのは格別の気持ちよさだ。こういう日は、いつもより多くの「朝んぽ仲間」と顔を合わせることとなる。

犬たちにはそれぞれの挨拶があるようで、お尻を嗅ぎあったり、鼻を突き合わせて互いを確認したり、時には警戒してぐるぐる回ったり、場合によっては牙をむき、吠えながら距離を取ることも。
そのすべてが彼らなりの儀式であるようだ。

一方、飼い主たちも笑顔で見守りながら、自分の犬が相手にけがをさせないか、またはけがをしないかと気を配る。お互いの犬を撫であう至福の時を充足するために。

おなじみのワンちゃん同士だと、さらにリラックスしたひと時が待っている。そんな日は、散歩の時間がいつもの倍ほどかかるが、それもまたうれしい。

思えば、現役で働いていた頃はいつも時間に追われ、朝の散歩を楽しむどころじゃなかったなぁ、といまさらに思う。

あの頃は散歩は義務で、今ほど朝んぽ仲間に出会わなかったような気がする。いや、出会っていたのかもしれないが、おそらくほかの犬に目を止める余裕もなかったのだろう。
たぶん「話しかけないでオーラ」を私が出していたにちがいない。

愛犬と満足して歩く帰り道、前方から若い女性がスマホを操作しながら歩いてきた。さて、挨拶するものかどうかと迷った瞬間、彼女の方から「おはようございます」と明るく声をかけてくれた。

顔を上げてこちらを見つめるその表情には、意思の強さと笑顔が良く似合っていた。
「いいなあ、面接だったら即採用だな」と心の中で思いつつ、挨拶を返す。

さわやかな気分になり、すれ違ったその時、彼女の残り香がふわりと漂ってきたのだった。
それは決して不快な臭いではなく、仄かに香る花のような香りだったのだが。
しかし、私の鼻は過敏でその優しい香りにさえ反応してしまった。

おそらく、出勤途中に違いない彼女にしてみれば、当然の身だしなみであったと思う。

冬の朝の凛とした空気の中で、魅力的な香水の香りとのアンバランスに、私の鼻が拒否反応を起こしてしまっただけなのだ。

昔から私は鼻が異常に敏感に出来ている。そのくせアロマやハーブが好きで、自分の過敏な鼻に合わせ微調整をしてまで使いたかった頃がある。

香水のように長く残るかおりは苦手で、我慢していると鼻の奥から詰まってきて、しだいに粘膜がかさぶたのようになり、のどの奥までイガイガした違和感が起きるのだ。

人は気にならない程度の匂いというのだが、自分が耐えられなくなる。
そうすると、数日間は異臭のように鼻からその匂いが消えてくれない。

思い起こせば、若いころの私もその歳やブームに乗って香りをまとって出勤したものだった。帰りはお決まりの満員電車に揺られて、いつも疲労感と喉の奥まで広がったザラザラ感を抱えながら。

あの頃は、シャネルやディオール、オーソバージュなど背伸びして買ったものだ。ゲランは大人の女のイメージが強く、手が出せなかったっけ。

最後に使ったのはオルラーヌのトワレだった。さっぱりとして甘えていない、でもいつまでも嗅いでいたい好きな香りだった記憶がある。

もちろんそれでも夕方には鼻の中はパンパンに腫れ上がったような感覚になっていたのだったが。

やがて香水を身に纏うこと自体が苦痛になって、いつの間にか忘れてしまっていた。若いころはおしゃれは我慢するものだったのだ。

すれ違った彼女の残り香は、忘れていたいろいろなことを思い出させてくれた。

「私も歳をとったなぁ」としみじみ思う。

この先、香りを身に纏う時があるのだろうか。
いやいやもう鼻がもたないだろうな。

あなたはどんな夢を見ますか?

そういえば最近、夢を見なくなったなぁ、と気がついた。

 

寝苦しかったり、半覚醒状態で思考が夢に移行していたり、不快な気持ちで目覚めたりはあるのだけど。

 

いつの間にか「ゆめのある夢」を見なくなった。

かなえられる夢を厳選したように、妙に現実的な夢しか見ない。

 

それこそ「夢がない」話だ。

 

歳をとるってこうゆうことなんだ。

十分すぎるくらい大人になってくるとね。

長年、仕事や人間関係でもまれるうちに、眠っている間まで頭の中は現実に即したものになってしまうのかな。

 

だとしたら、なんとさもしくて悲しいことか。

気がつけばもう、それは「夢」じゃないよね。

 

思えば遠いむかし、忘れてしまうくらい幼かったころ。

一人でいつも原っぱで遊んでいた記憶がある。そして大きな岩をみつけては、その岩に登り空を飛ぼうと真剣に考えていた頃があった。

 

わたしの幼い時代は、家から出たら整備された公園などではなく、自然な広場や原っぱが無数にあったものだ。

 

記憶の中では私が大きな岩から何度もなんども飛んでいる。

(飛び降りていたというのが正しいかも(笑))たぶん体が小さかったせいで、それは岩ではなく大きな石程度のものだったと思うが。

 

ひとりで居て寂しかったわけじゃない。そのころは自分と遊ぶのが大好きで、いつか空を飛ぼうと真剣に考えていたのだ。

 

背中に羽もないのに、ひたすら練習すればいつかは飛べると信じていた。岩から飛び立つ瞬間、当然すぐに地面に着地してしまうのだが、飛び上がったその瞬間、幼いわたしは確かに空を飛んでいた。

 

きっと気持ちの中では、大きな羽ばたきと共に空に舞い、嬉々としていたに違いなかった。

鳥のように空を飛べたら、世界はどのように見えるのだろうか。高度4000メートルからの風景

 

日がな飽きもせず、胸いっぱいに期待を膨らませて「今度こそ」と何度もなんども岩から飛び降りて遊ぶ子供だった。

 

小学校の低学年の頃になっても、友達がほしいと考えたこともなかったように思う。

友達と一緒に居るより一人の世界のほうが楽しくて安心だったのだ。

 

しょっちゅう風邪をひいて熱を出す子供だったせいか、時間があればひとりで絵を描いたリ、本を読んでいることが多く、あまり友達と外で遊んだ記憶がない。

 

鬼ごっこやボール遊びや、輪ゴムを結び繋いだゴム跳びなど、見ていた風景は頭の中に残っているのだけれど、自分が参加した記憶はあまりない。

 

そう。きっと変な子だった、と思う。

「〇〇ちゃん、あーそーぼー」と、たまに近所の子供が誘いに来るが、わたしは平気で「遊ばなーい」と言う子供だった。

 

だけど、そこそこ嫌われないで成長できたのは、おそらく目立つことをしてこなかったからだろう。みんなの中でわたしの存在が薄かったからだと思っている。

 

もしかしたら、自分と遊ぶのが大好きだったのは、本当はその後もずっとそうだったのかもしれない。

 

否応なく大人になって、世間の風や空気を吸っていろんなことを覚えて、きっと学習したのにちがいない。

 

無心に空を飛ぼうとしていたあの頃、私の頭の中はどこまでも自由で奔放だったのだ。いろんなことを夢想して楽しむことができたし、願えば叶うと信じていた。

 

読んだ本の世界に没頭し、それは夢の世界にも反映し、私の頭の中はそれはそれは無限に空想的でわくわくするものだったはず。

 

いつの間にか、めったに風邪も引かなくなり人前で物が言えるようになり、人間関係の迷路を通過するにつれて、私の頭の中から幾つもの何かが消えて行った。

 

思春期や初めて社会に出た時期によく見ていた気味の悪い夢。

低空飛行で腹が地面に付きそうになり、それでも必死に飛ぼうとして力を入れ、疲れきって目を覚ましたり、泳いでいる手足がどんどん重くなって必死でもがいたり、降りている階段がみるみる急斜面になり、最後には直滑降になるなど、そんな恐怖の夢も見なくなったかわりに、楽しい夢も見なくなった。

 

それはそれで良いことかもしれない。若いころのように将来の不安におびえたり、迷いの中で苦しむこともなくなったのだから。

 

決して戻りたいとは思わないのだけど、あの幼いころに見ていた世界をもしできるなら、もう一度見てみたいと思う。

幼い子供が成長して老人になるまで一本の木が見守りあたえ続けた心にしみる無償の愛・・・