愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

ものわすれのお年頃

一日の大半をモノ探しで使っている気がしている今日この頃。
右向いて左向いたら、もう目的を忘れている。


知人たちにその現状を伝えると、それまで(今より多少若いころ)なら「はは・・・いよいよボケたか」「そりゃ、危ないですよー」と笑い飛ばしてくれていたものが、いまや「ふーん、みんなそんなことあるよ、ねえ~」などと、返事の内容が変わりどこか同情の臭いを感じるのは気のせいか。

これは明らかに気を遣っている、もう冗談ではすまない年になったか、とひとり卑屈になっている。

 

頭の中が常時すっきりしないのだ。仕事をしていた頃は一日8時間勤務の縛りがあった。これが案外良かったのかも、と思う。
良くも悪くも片付かないことがらについて、一応の区切りをつけて一日を終え、次の日を迎えることができていた。今はというと、自由と引き換えに時間の制限がなくなった。

いつまでに何をしなければならないという縛りがないというのは、最高の自由であると同時に、よほど自分の生活や時間の使い方を律していかなければ、けじめも区切りもなくなっていく。

 

同時に物事がさばけなくなった。ような気がする。

平たく言うと自分で自分がドンくさい。それでまたイライラする。

たとえば、何かしようとすると取り落とし、そこが坂になっててどこまでも転がり、追いかける足がもつれて自分が転がって壁に体をぶつけ、痛い!と思ったとたんに、棚のものが頭の上に落ちてきた、というようなもの。

 

さらに、集中力が激減している。

PC作業の合間にも、ヤフーの芸能ニュース記事をつまんだりしてなかなか進行しない。

頭が疲れたら犬にかまってもらいに階下に降りる。やっぱり犬なしでは暮らせない。

無防備なイッヌ

最近見つけた犬漫画が感覚的に心地よく、犬好きって同じようなことをするんだと、ふ・ふ、と気持ちがあったかくなるのでこれも読まなくてはいけなく・・・脳みそが雑食で消化不良のようだ。

 

依頼された仕事も数多いわけではないので、追われることなくアレコレ目移りしながら消化することができる量。これがいけないのか?

予定が少ないと、何日も前からそのことが気になる現象が起きている。

いっそ、忙しくしたら時間に追われて集中せざるを得ず、余計なことを考えずにすむのかなぁ。やっぱ、それは違うような気がする。

 

まあ、何やかにやで間の悪い時間が継続しているような感覚がぬぐえない、もっとスマートに歳をとれないのかしらん。

おそらく、私はいま内も外もぐちゃぐちゃになって原型をとどめていないのではないかと思われる。

うーーん?! すでに原型がどうだったか、なにをして原型というのかそれももう定かでない。

もしかしてこれは、何度目かの脱皮のときか?!

常に自分の都合の良い考えと生き方が私の特技だ。

 

ここはひとつ、自分の持ち味を発揮する時かもしれない。これまでの価値観を変革し、新鮮な老人(?)に生まれ変わって、物忘れを武器に恐れず前進する! てか?

 

 

コンフォートゾーンからの脱却

コンフォートゾーンを脱するべきか否か

日常の中で自分にとって快適で安心できる習慣化した毎日、そこから動きたくない場所や状況を「コンフォートゾーン」と呼ぶ。

とくに仕事を引退したわたしにとっては、この快適空間にこよなく至福感を感じる。

だが「コンフォートゾーンにとどまり続けることは、人としての衰退につながり、成長と新たな経験を得る機会をのがしてしまうぞ」と、警告音が心になりつづけるのだ。

 

「もう、やることやったからいいじゃないの、好きにさせてもらっても」

『え、やることやったって、何? あなたそれ、いちばん傲慢な考えじゃない』

「だってもう、高齢者の域だし・・」

『命ある限りは前進あるのみでしょう。人として謙虚に精進してねー』

「え~、もう! あんた、誰?!」

 

なんて心の中の葛藤はとりあえず置いといて、コンフォートゾーンを脱することで得られるメリットとその方法について考えてみようと思う。

 

コンフォートゾーンを抜け出すメリット

新たな成長の機会を手に入れることができる

「いまさらもう、成長しなくてもいいんだけど・・」

『あ、こらまた不埒なことを言う!』

コンフォートゾーンにとどまり続けることは、自分から人生終了を宣言するようなもの。成長の機会を逸してしまう危険性を生んでいる。

新しい環境や経験を通じて自分の可能性を広げることは、自己能力の拡大と自分の限界を超えることをも可能にするのだ。

自己肯定感の向上が図れる

新たな挑戦や困難に立ち向かい乗り越える経験は、確実に自己肯定感を高める。自己成就感や達成感などの成功体験は、自己能力に対する信頼をより深め、ポジティブな思考や行動の促進につながる。

人間いつか一人になった時のために、至福感を持ち続けて生きていけるように、自己肯定感を育てていくことはとても大切なことだ。

広い視野と柔軟性の向上をもたらす

コンフォートゾーンを脱することで、新たな環境や人間関係ができて自分の視野が広がっていく。

異なる文化や価値観に触れることは、自分の考え方や行動パターンを見直すきっかけとなり、ひいては現代社会の変化にも柔軟に対応できる適応力を持つことにつながる。

 

「ふ~ん、なるほどね。なんか納得してきた。メリットはありそうだ。では、どうしたらこのぬくぬくまったりの快適空間を脱出できるのですかね?」

『君は実に猜疑的だねえー、そんなこっちゃ嫌われるよ。あ、もう嫌われているか』

「・・な~んか、腹立つ!!」

コンフォートゾーンを脱する方法

新しい挑戦をすることから始まる

(はは、それができれば問題ないのよね・・)と、心の声を無視して進めよう。

自分が興味を持っている分野で、未経験の活動に挑戦してみるのが一番良い方法だろう。新しい趣味やスポーツ、異業種の勉強会やセミナーに参加するなどは充実感につながりやすいといえる。

ただし、私のようなインドア派にはそれでもハードルが高い。

その場合はいつも読んでいるジャンルの本を変えてみる、という身近な手がある。

自分が好む作家ではなく、読んだことのない人の本を読む、普段好む傾向から全く違う本を選んでみることはとても大事だと、どなたかの本で読んだ。

同じ発想で、今まで食べたことのない食材や料理をためしてみるのも、新しい文化に触れ刺激を受けるには良い方法と言えるだろう。

 

自分の可能性を信じ、周囲の意見やアドバイスに耳を傾け、心理的な壁を乗り越える勇気と興味を持ち続け、少しずつ挑戦を増やし継続する必要があるわけだ。

まとめ

コンフォートゾーンにとどまることは安心感や快適さをもたらすが、成長や新たな経験が得られず、日常生活の停滞(衰退)が起きる危険性が大きい。

ちょっと自分に頑張って、コンフォートゾーンを脱することができたら、間違いなく新鮮な成長の機会や自己肯定感の向上、今より広い視野とさらなる柔軟性を得ることができるだろう。

 

う~ん、良いことばかりだな。このさい歳は関係ないのね。身体的限界は考慮に入れる必要がありそうだが、新しい年に向かって自分の可能性を信じてみるかな。

消えたカートと倉庫の謎:奇妙な出来事

このところは急に寒くなったのもあって、自宅から出ない日が多く、ごく限られた範囲内の日常生活をおくっている。

わたしは取り立ててそれで不自由を感じない。良いのか悪いのか・・

 

最近、脚の付け根の外側に痛みを感じるようになり、歩き始めに困難を覚えるようになった。どうやら同じ姿勢を続けているとそうなるようで、明らかな運動不足によるものらしい。わかってはいるものの快適空間から抜け出す勇気はいまのところない。

 

先住犬の遺骨は、いつも朝に晩にご飯を食べていた台の上にあり、今までどおりご飯を供え、そのあとフウタが食べている。

母は朝に晩に(時々忘れるが)座り込んで亡き犬とお話をする。

 

当初は元気だった犬に思いがはしり、その光景を見るのが辛かったが、それなりに慣れていくものだ。忘れてはいないけれど、記憶って角が取れて痛くなくなっていく。だから生きていけるのだろうが。

 

母は毎回「ご飯食べたね~?」「元気に走ってるね~?」「お父さんも花ちゃんもいるでしょう?一緒に遊んでもらってる?」その他、モゴモゴ・・

プッと吹いてしまう時がある。

 

4週間分の母の薬がなくなるギリギリまで受診に連れて行かない。

もっとも本人は覚えてもいない。

仕方なく重い腰を上げて、母を年末最後の定期受診に連れていく。

いつもと同じ流れでほぼ同じ会話を繰り返す状況を笑顔で忍耐する。

「今日が年内最後だから、先生にご挨拶よ」というと振り向いて丁寧にソツなく挨拶をした。ム、ムー認知症おそるべし。

 

今日は少し調子が良いのか受け付けの支払いに、提示された金額を小銭まできちんと合わせて出した。母はこれまで見ていて、夏より冬場のほうが頭の中がクリアのようだ。

 

帰宅時、車に乗せたとたんに「今日は買い物したいのよね」

ほら始まった!「お母さん、いっつもそうなのよね。どうして前もって言わないの。いま今言われても私も予定があるのよ!」つい、口調が強くなる。

 

以前のようにデパートなどに行って、下着や衣服を見て買いたいのだ。わかってはいるが、店内を見て歩くにはリスクと負担が大きすぎた。どこに行くにもまず、エレベーターがあるかどうかを確認し車椅子の手配をしなければならない。ついては車いすを人混みの中で押して歩く体力が私にはもうない。それ以前に母は車いすを絶対拒否る。

というより、難聴の母を連れて・・考えるだけでおっくうすぎてしたくない。

 

杖歩行の母は、以前散歩に出て途中で座り込んだことがある。あまりに帰宅が遅いので迎えに行ったときのことで、すでに道に迷っていた。そんなことをなんどか繰り返し、母はもう一人では外へでなくなった。が、今でも「なーんの、どこでも歩けるよう」と言う。

 

車の中で「ああ、そお~」と肩を落とす母が少しだけかわいそうに見えて、「欲しいものは紙に書いといて。時間ある時に買ってくるから」「うん・・」

来年の暦や脳トレの雑誌や、おやつも買いたいのだろうと気を取り直し、帰り道のドラッグストアに寄った。

 

「ゆっくりね!」「お菓子、山のように買わないのよ!」と言う私をしり目に、カートを押してさっさと店内に向かう母は最たる難聴だもの、私の言うことなんざ聞いちゃいない。

店内に移動した母は、ひとコーナーごと珍しそうに見ながら奥へ奥へ歩いていく。ついて歩くのも苛立ちそうなので、対面から母の動きをチェックする。突き当りの通路を右へ行ったり左へ行ったり、私は反対側から同じように移動し、母の姿を追う。

 

すると、突然母が視界から消えた。えっ?!

私、今目閉じなかったよね。いない!!

あわてて突き当りの通路まで移動すると、ちょうどコーナーの陰に「WC」の案内があった。あー、やれやれ。トイレに行ったのね。

あれ?でも、たしか中にお菓子が入ったカートはどうしたの?

 

どこを見ても通路に母が押していたカートがない。一瞬かみかくしにあったような不穏な感覚を覚え、あわてて案内板のドアを入るとそこは、スタッフ事務所と倉庫になっていた。反対側にトイレの入り口があった。通路のどこにもカートはない。

は、はーん。まさかだが、きっとトイレ内までカートを持ち込んだに違いない。

 

『もう、店員さんが見たらどうよ、万引き犯とまちがわれるじゃない』

『トイレに行くならなんで私を呼ばない!?何度も向こうから顔見てたくせに』

など、だんだん腹が立ってきていた。とりあえず、店内まで戻って待つ。

同じ場所で、穏やかならぬ顔で立っている客を、店員さんが怪訝そうに見ていく。

 

かなりの時間を待つが全く出てくる気配がない。さすがに心配になってきた。

落ち着かない素振りで、ウロウロしてしまう私を、店員さんがなおさら見る、ような気がする。さすがにおかしい。

バン!と案内板のドアを開け、トイレの方向へ急ぐとドアは開け放されており、トイレの中は空っぽで誰もいない、もちろんカートもない。

 

胸騒ぎを抑えきれず、踵を返して振り向くと、その先にある店内倉庫の荷物や箱にまみれて、だれかがカートを押して歩いている!!??

一瞬状況がつかめなかった。母が店内と間違えて倉庫の中をねりあるいているではないか!ギョエー

さもあらん、認知症あっぱれ。腹が立つやらおかしいやら、思わず写メにとろうかと思ったが、店員さんが通る前に早く元の位置へ戻さねばと、我に返った。

 

あとはもうたぶん怒りの極致だったような気がする。

こういう時にやさしくなれないのだよねえ。「こっちでしょー!」なんて怒鳴って、母が、きょとんとしながら杖を突きつき、ついてくる気配を感じながら、あとは自分だけずんずんカートを押してレジへ向かった気がする。

もう、わかりきっているはずなのに、十分予測できることなのに、母の言動にいちいち動揺してしまう自分に腹がたってしょうがない。無性に腹が立って仕方ない。

(※ちなみにタイトルはAIさんが作ってくれたものです。へえ~、と感心しました。)

老人は休むな

阿川佐和子さんが父親の阿川弘之さんを看取るまでの、主治医だった大塚宣夫医師との著である「看る力・アガワ流介護入門」の文中の言葉である。

 

若い時は一晩寝れば疲労は回復し、再び意欲がみなぎるが、後期高齢になると疲労が回復するときがない。常時疲労感を抱えて体が「休みたい、やすみたい」と言っているので、それを聞いて休ませようものならもう動かなくなるぞ、っというもの。

 

歳をとると、気力に体力を引きずっていかないといけないらしい。当然あとはぐったりとしてしまうが、なんとか日常を継続できるのだとか。

たしかに思い当たる節はある。現職中は常時疲れていたながらも、毎日の作業をこなしていた。というか思考する間もなく追われていたというべきか。

 

今はと言うと、自分で予定を入れなければすべて自由時間。これって最高!と考えていたが、なかなかこの自由時間を整頓し、有意義に使いこなすのはとても難しい。

なんらかの制約があり、縛りがある中で「辛抱(無理押し)と達成感」のサイクルに慣れてしまうと、区切りのない膨大な時間に押しつぶされそうになる。

 

あ、ここからすでに貧乏性なのか。

そもそも時間を、かならずしも有意義に過ごす必要があるのか。

まだまだ、にわか年寄りなのだろう、肝がすわっていない。

 

このところ、青春を共にした昭和の歌い手が次々に急逝していくことに、さすがに気持ちが落ちていく。

追悼の気持ちから、数日モンタの曲ばかりを聞いていた矢先に、オオハシジュンコまで・・胸が痛い。一気に寒くなり短い秋が去ろうとするときに、一緒に人生が終わっていくような気さえしてしまう。

 

94歳の母にもこういう思いはあるのだろうか。明日の不安はないのだろうか。次のショートステイやデイサービスの予定のみで頭がいっぱいのように見えるが。

老々介護になると専門職がいちばん配慮しなければならないのが介護力だ。そしてすでに自分がその年代に入っている。心身共に安定して人の介護ができるのかを考えるようになった。

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阿川氏の介護には頭が下がる。なにより、その本からも愛情がつたわってくる。

自分に問うてみるがやはり私にはできない。なぜなら親子関係も育った環境も違うからだ、と思う。

全編通じてとても明るい。阿川氏の性格によるのだろう、介護本にありがちな暗さが全くなく、家族介護をしているものの気持ちを軽くしてくれる本だった。

自分は自分、私の母は母、介護の在り様も人と同じではない、そう思える。

外野の意見や思惑を気にしないようになれば介護は楽になる。

「ドーター(シスター)・フロム・カリフォルニア・シンドローム」 どうやら一番身近で介護をするものが悪く言われるのは世界共通の悩みらしい。

 

 

閃輝暗点が起きたら

閃輝暗点の症状は突然に

友人とおいしいコーヒーをいただいていると、次第に友人の片方の目が、光が当たったかのようにキラキラ反射しカタチが抜けはじめた。焦る思いでまばたきをして目を凝らす。窓際に目をやるが何にもひかりは差し込んでいない。

そのうち、ゆっくりだけど確実に自分の片方の視界の外側にギザギザのまぶしいものが広がり始める。

あ!閃輝暗点(せんきあんてん)が始まった。久しぶりだなあと思った。そう、一年に一度あるかないか。時々は数カ月空けて二度続いたこともあったけど、私の場合頻繁ではなかった。

またたく間に片面の外郭を大きく光りの輪が覆ってしまった。こうなるとまぶしくて輪っかの部分はほとんど何も見えなくなる。

病院嫌いで長年のお付き合い

もう何十か前になるだろうか、初めて症状が出た時は40代だったと思う。肝をつぶしたのを覚えている。目というより脳の影響であろうと、本能的に嫌な予感を感じたものだ。


それでも短い時間で治まるため病院に行かなかった。私は昔から徹底した病院嫌いなのでひたすら症状について調べた記憶がある。閃輝暗点という病名を知ったのもこの頃。「眼、光の環、ギザギザ」位の検索で的確で豊富な内容を確認することができる。


当時は結局「命に別状はない」ということがわかった時点で安心して仕事に忙殺されていったが、今回は忙殺される対象がもうないので、気持ちにひっかかってしまったのだ。この症状の後に必ず片頭痛が起きるというのも不安をかきたてた。


なぜなら私には毎回、頭痛は起こらない。ただ、二十代で就職したあたりから激しい片頭痛に悩まされてきた経緯がある。

ご経験の方はお分かりだろうが、食事もとれず、意識が定かでなくなるほどの痛みと悪心の苦痛の中で仕事をした時期がある。


結婚を機にいつの間にか症状は軽減し、高齢になるころにはすっかり忘れてしまうほどに改善した。

ただいずれも脳内の血管収縮と拡張に伴う症状なわけで、収縮の際に閃輝暗点が、その後拡張するときに片頭痛が起きるというものらしい。


閃輝暗点の症状は、片頭痛が起きる人の1~2割に出るといわれている。

5分から30分もあればすっかり消えてしまう。しばらくは違和感が残るが1時間程度で何事もなかったように忘れてしまうほど症状は無くなる

原因解明されない症状

閃輝暗点が発生する原因は正確には解明されていないが、いまのところ脳にある血管の収縮や拡張が主な原因だろうと考えられている。

大脳皮質が関係する神経症状であるらしい。


大半が重大な病気とは無縁の症状だが、まれに脳梗塞や脳腫瘍が発症原因であったりするらしいので閃輝暗点かどうかわからない人はまず眼科で確定検診の上、脳神経外科(内科)に早めに受診をすることが賢明だ。


症状としては目に出るが、目が原因ではなく中枢性静脈炎・多発性硬化症・糖尿病性脈絡膜症などの病気で併発する場合があるため注意を要する。


でも私は強い意志を持って(?)病院に行かない(☜なんなんだ、こいつは!)

症状を引き起こす要因としては

過度なストレス・喫煙・睡眠不足・コーヒー・アルコール・チョコレート・ナッツ・チーズなどがある。過度なストレスと喫煙以外は全部当てはまるなあ。

今回は諸事情から重度の寝不足が続いたせいだと自分で分析した(この素人判断が一番こわいんだってば!!)


でも病院には断固行きたくない。なぜって?病院こわい病だから。

対策として(いやいや、早く検査に行けって!)

閃輝暗点を予防するものとしてマグネシウム・ビタミンB2の摂取が良いとの情報を仕入れ不安な気持ちを払拭する。


早速、海藻・魚介・豆類・穀類などでマグネシウムを、肉類・魚介・卵などでビタミンB2を補うことにする。

面倒なのでビタミンは市販のチョコラBBで補うことにしよう!


ビタミンB群は過剰なものは体外排出がよく、体に残らないイメージが強く、肌荒れや歯肉炎などにも効果てきめんなので個人的にはチョコラBBファンなのだ。

まずは、睡眠確保だな、ウン(なんて懲りないやつ・・)

 

セロトニンを活性化させるには

同年代が最高だが年代の違う人からは刺激を得る

先日若い方とお話しする機会を得た。

仕事から離れてからは人と会うことが激減しているのもあるが、若い人と一緒にいるだけで、うきうきと心弾んでしまうのはなぜだろう。

手が届く場所に若い女性の肌がひかり、コロコロと転げるような明るい声がある。

う~む、シワがない。笑った目元にも、口元にもだ。ほう~、これが艶玉。
快活に響く声に反応する白い喉が艶めいて見惚れてしまう。

彼女が居るだけで、私のいつもの部屋の空気がすっかり違ってしまう。
セロトニンが活性化し、私に息吹をもたらす。 って、私はおっさんか!

しかし、最近の女子はきれいになったものだ。自分がこの年頃の時これほど美しくはなかったし、こんなオーラも放ってはいなかった、とおもう。

そういえば若かったころ、ご年配の方に何度かお供した際、私が何を言ってもただニコニコと聞いてくれて
「若い人といるだけでうれしいんだよ」と言われたことがあったっけ。
時代は巡る、今自分がその歳になったということか。

話が弾む、おそらく一方的に。同年の方や慣れた仲間と話すときは、冷静に筋道を立てて話をすることができる。(と、思う)
複数の課題がある場合も頭のなかで話す順番を整え、状況によって瞬時に入れ替えながら優先順位を決定し、相手がなるべく退屈でない話をすることができる。
意識的にそれを行い、途中どれだけ脱線しようが、話のエッセンスを織り交ぜようが、ちゃんと結末の着地を間違えることはなかった(これまでは・・)

が、しかしである。若い人と心地よい興奮で沢山しゃべっていると、その会話が微妙にずれていくのが自分でわかるのだ。わかるがどうしようもない。
言葉で修正しようとするとかえって筋が外れていくのを止められない。

ひとつ質問を受けてそれに答える際に、素直に端的に答えればよいものを、余計なサービス精神を発揮するのがいけない。これが間違いのもとなのだ。
このエビソードを入れて、あれも織り交ぜて、など頭のなかを膨らませるともういけない。
その間、若い人の動作ひとつひとつに好奇心や目を奪われながら心が高揚するものだから、頭の中の話の断片はひとつにつながらないまま空中分解してしまうのだ。
話の着地点がどこだかもう見えなくなってしまう。

聞いてる方は「あれ、さっきの話はどこへ行ったのかな~」「え、違う話になってなあい?」と思っていたに違いない。

む~う。老いで片付けて良いものか。緊張感が足りない自分を反省すべきか。

で、「まっいっか」で片付けるのが歳を重ねたものの特権。
だって、若い人といて気持ち良くて楽しかったもの。

家族を施設入居させるときの選択肢

強度の難聴と進行中の認知症のせいで高齢の母と通常の会話が成り立たなくなり、食べられないものが増え、それでも「まだ歯があるからねえ、あたしゃなんでも食べられるよ」と減らず口を言うことにイラつき、排便が不規則になり、いつ転倒するかハラハラしながら一挙手一投足を見張り、あ、違う、見守り。


次第にどこかで施設入居が頭に浮かぶようになったこの頃。

とにかく、同居している家族は四六時中苛立って不機嫌になる現実。

つい昨年まで、支援する側のプロと自負していた自分だけに余計情けない。

 

【目次】

 

在宅介護の限界を感じる時

介護保険発足以来、高齢者の支援をさせていただいた中で、ご家族が在宅介護の限界を感じる時は以下の内容が主な理由だった。

①排泄介護の負担が大きくなった時 

②認知症で暴言暴力が過剰になった時 

③医療的な看護が必要になった時

医療と介護の違い

その中で③については、現在は訪問看護ステーションが充実している。

あまり医療度が高いと介護保険施設では受け入れてもらえないが、昨今は病院でできる治療のほとんどが在宅で行ことができるため、生活の質を求めて在宅療養をされる方が多くなっている。

 

社会的入院による医療費の圧迫から、2000年に介護保険制度が開始されてからは、病気の治療は医療機関、要介護者の介護についてはソーシャルワークでとすみ分けされた。

その後は長期入院に及ぶと診療報酬を減額することで、長期入院の抑制が図られ、在宅で介護保険の医療サービスを使う人が多くなったことは理にかなっていると思われる。

介護保険認定調査のヒント

ここで余談をひとつ。介護保険の認定調査の時によく、これまでの病歴をトクトクと述べる方が多いのだが、介護保険の成り立ちを考えればそれが全く無駄なことだと理解できる。

たとえ調査員がウンウンと親身に聞いていたとしても、それは心情的な部分からそうしているのであって、調査内容にはなんら反映してこないことを知っておかなければならない。

それより介護保険の認定調査においては「介護の手間・大変さ・心身ともに介護者の負担がどれほどのものか」を具体的にとうとうと述べるのが調査の目的に合致する。

たとえば、〇〇病のため、△△ができず、家族が✕✕や・・・の介護をしなければならないので限界にきている、などが良い。

もっとも高齢の方が治療のために短い期間でも入院したとしたら、著しい機能低下が起きる可能性が高く、下手をしたら在宅での暮らしが、再びは不可能になってしまうことを考慮に入れて治療の方法を選択することになる。

施設を考えるのは罪悪ではない

①については、ご家族が一番悩むところだと思われる。介護の経験者ならともかく、まして介護者が男性の場合①は相当に生理的な負担の限界がくる。

よく切羽詰まった様子で、いきなり施設探しのSOSが入るのは、夫や息子さんからが圧倒的に多かった。

②は十分注意をしていないと、過剰な介護負担のストレスからDVに発展するケースが多く、専門職は一番気を張っていなければならない。

入所相談があった際は、支援者は介護者の決意のほどを確認することになる。

ひとたび施設入所をしたら高齢者の場合、まず在宅復帰は困難になる。

高齢者には環境が変わることが、なにより大きなダメージになるからだ。

かといって、施設を選ぶことを躊躇する必要もなければ、後ろめたく感じることもさらさらない。

大勢の仲間たちの中で、見違えるように明るくなった高齢者の方を多く見てきた。

人間は幾つになっても同年代といることが一番楽しいそうだ。

とくに認知症の方には、思い悩んで暗く落ち込む家族が毎日そばに居るより、時々会える、笑顔の家族の方がだんぜん良い。

終の施設を選ぶまで

しばらく自分を解放した後、また在宅で介護したいのであれば老人保健施設やショートステイを紹介することになる。

が、もう金輪際在宅で介護は無理、自分も後悔しないというのなら、終生利用の施設を紹介することになるのだが、この場合はその時点の要介護の状況によるので、一概にどの種類の施設とは言い難い。

ただ、介護者は多かれ少なかれ自分を責めギリギリまで自分を追い詰めて、もうお手上げ状態で訴えてくる場合が多く、すでにご本人はたいてい重介護状態であり、特別養護老人ホームの紹介が多かったような気がする。

ただご承知のとおり、特別養護老人ホームはすぐに入れるわけではないため、支援者は空室を待つ間の施設を準備することになる。

たいてい縛りの少ない住宅型有料老人ホームを紹介することが多かった。

これは最近では乱立していて、なかなか内容の良しあしがつかめなくなっている。

また担当のケアマネジャーを見誤ると「最近出来て新しくてきれいですよ」などの理由で進めてこられるので気をつけないといけない。

「ぐんぐん伸びている施設」と業界で称せられる施設にも気をつけたほうが良い。

乱暴な経営のつけで、いきなり行政から指定取り消しを食らうところもあるからだ。

懸命なケアマネさんは自分の足で施設を訪問し、経営者やスタッフと話をし自分の評価基準を作り、そのうえで紹介をする。

長年勤務している人は経験から知識も情報も豊富に持っていることが多い。

他力本願ではなく自己責任で施設を決める

そのためには介護者(たとえば家族)は多様な施設を実際に見て回ることだ。ケアマネから紹介されたことをうのみにするのではなく、勧められたとしても、自分の足で目で見ることだ。

疲れ切った家族は言いなりになってしまうことが多いがそれはいけない。

もうひと踏ん張り足しげく通い、施設の人と話をすることが大事だ。

 

また、「とても良い人だったからここにする」と、決める人が多いのだが、それがオーナーならともかく、管理者だろうが誰だろうが従業員はいつか辞めると考えていたほうが良い。

かりにオーナーであったにせよ、自分の言動を通してメンバーを主体的に動かしてしまうパワーと影響力のリーダーシップを持った人かどうかは見極める必要がある。

トドのつまり、100%Goodはない。

施設選びというのは他力本願でなく、どれだけ自己責任で選んだかに尽きる。

 

在宅から施設へと環境の変化が大きいと重度高齢者は心身の変動から不測の事態に至ることも珍しくないからだ。

その過程を経ていないと、入所してからかならず後悔することになる。

また、訪問の医者や関係事業者などに不満や怒りをぶつけなくてはならなくなる。

かかる費用は最初に詳しく聞く

それから、施設見学の際に真っ先に明確に確認しておくことは諸費用である。

パンフレット等には通り一遍の表向きの内容しか記載されていないことが多くある。

 

突っ込んで聞かなくてはいけない。

夜間にナースコールを押したら料金は加算されるのか?

病院に連れていくのは家族か施設か、連れて行ってもらう場合に料金はかかるのか?

外出はさせてもらえるのか、など等。

あらゆる可能性をたずねておくことだ。

 

住宅型の施設は個性的と言えばそのとおりだが、一律の決まりがない。

そのため料金制度もまちまちになる。とくに一時金を要する施設は返金されるのかどうかもきちんと聞いておいたほうがよい。

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なんて言ってるが、わが親のこととなるとからきし判断がつかない。

やっぱり家で最後まで看たい、でも夫のストレスが伝わると辛いものがあり、自分自身母親の言動に毎日苛立っているわけで。

もちろん、先立つものも重要なわけで。

施設に入ったとて、いつまで払い続ければよいのか・・

えっ? わたし今、母親の寿命を計算しました?!