愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

セロトニンを活性化させるには

同年代が最高だが年代の違う人からは刺激を得る

先日若い方とお話しする機会を得た。

仕事から離れてからは人と会うことが激減しているのもあるが、若い人と一緒にいるだけで、うきうきと心弾んでしまうのはなぜだろう。

手が届く場所に若い女性の肌がひかり、コロコロと転げるような明るい声がある。

う~む、シワがない。笑った目元にも、口元にもだ。ほう~、これが艶玉。
快活に響く声に反応する白い喉が艶めいて見惚れてしまう。

彼女が居るだけで、私のいつもの部屋の空気がすっかり違ってしまう。
セロトニンが活性化し、私に息吹をもたらす。 って、私はおっさんか!

しかし、最近の女子はきれいになったものだ。自分がこの年頃の時これほど美しくはなかったし、こんなオーラも放ってはいなかった、とおもう。

そういえば若かったころ、ご年配の方に何度かお供した際、私が何を言ってもただニコニコと聞いてくれて
「若い人といるだけでうれしいんだよ」と言われたことがあったっけ。
時代は巡る、今自分がその歳になったということか。

話が弾む、おそらく一方的に。同年の方や慣れた仲間と話すときは、冷静に筋道を立てて話をすることができる。(と、思う)
複数の課題がある場合も頭のなかで話す順番を整え、状況によって瞬時に入れ替えながら優先順位を決定し、相手がなるべく退屈でない話をすることができる。
意識的にそれを行い、途中どれだけ脱線しようが、話のエッセンスを織り交ぜようが、ちゃんと結末の着地を間違えることはなかった(これまでは・・)

が、しかしである。若い人と心地よい興奮で沢山しゃべっていると、その会話が微妙にずれていくのが自分でわかるのだ。わかるがどうしようもない。
言葉で修正しようとするとかえって筋が外れていくのを止められない。

ひとつ質問を受けてそれに答える際に、素直に端的に答えればよいものを、余計なサービス精神を発揮するのがいけない。これが間違いのもとなのだ。
このエビソードを入れて、あれも織り交ぜて、など頭のなかを膨らませるともういけない。
その間、若い人の動作ひとつひとつに好奇心や目を奪われながら心が高揚するものだから、頭の中の話の断片はひとつにつながらないまま空中分解してしまうのだ。
話の着地点がどこだかもう見えなくなってしまう。

聞いてる方は「あれ、さっきの話はどこへ行ったのかな~」「え、違う話になってなあい?」と思っていたに違いない。

む~う。老いで片付けて良いものか。緊張感が足りない自分を反省すべきか。

で、「まっいっか」で片付けるのが歳を重ねたものの特権。
だって、若い人といて気持ち良くて楽しかったもの。