阿川佐和子さんが父親の阿川弘之さんを看取るまでの、主治医だった大塚宣夫医師との著である「看る力・アガワ流介護入門」の文中の言葉である。
若い時は一晩寝れば疲労は回復し、再び意欲がみなぎるが、後期高齢になると疲労が回復するときがない。常時疲労感を抱えて体が「休みたい、やすみたい」と言っているので、それを聞いて休ませようものならもう動かなくなるぞ、っというもの。
歳をとると、気力に体力を引きずっていかないといけないらしい。当然あとはぐったりとしてしまうが、なんとか日常を継続できるのだとか。
たしかに思い当たる節はある。現職中は常時疲れていたながらも、毎日の作業をこなしていた。というか思考する間もなく追われていたというべきか。
今はと言うと、自分で予定を入れなければすべて自由時間。これって最高!と考えていたが、なかなかこの自由時間を整頓し、有意義に使いこなすのはとても難しい。
なんらかの制約があり、縛りがある中で「辛抱(無理押し)と達成感」のサイクルに慣れてしまうと、区切りのない膨大な時間に押しつぶされそうになる。
あ、ここからすでに貧乏性なのか。
そもそも時間を、かならずしも有意義に過ごす必要があるのか。
まだまだ、にわか年寄りなのだろう、肝がすわっていない。
このところ、青春を共にした昭和の歌い手が次々に急逝していくことに、さすがに気持ちが落ちていく。
追悼の気持ちから、数日モンタの曲ばかりを聞いていた矢先に、オオハシジュンコまで・・胸が痛い。一気に寒くなり短い秋が去ろうとするときに、一緒に人生が終わっていくような気さえしてしまう。
94歳の母にもこういう思いはあるのだろうか。明日の不安はないのだろうか。次のショートステイやデイサービスの予定のみで頭がいっぱいのように見えるが。
老々介護になると専門職がいちばん配慮しなければならないのが介護力だ。そしてすでに自分がその年代に入っている。心身共に安定して人の介護ができるのかを考えるようになった。
阿川氏の介護には頭が下がる。なにより、その本からも愛情がつたわってくる。
自分に問うてみるがやはり私にはできない。なぜなら親子関係も育った環境も違うからだ、と思う。
全編通じてとても明るい。阿川氏の性格によるのだろう、介護本にありがちな暗さが全くなく、家族介護をしているものの気持ちを軽くしてくれる本だった。
自分は自分、私の母は母、介護の在り様も人と同じではない、そう思える。
外野の意見や思惑を気にしないようになれば介護は楽になる。
「ドーター(シスター)・フロム・カリフォルニア・シンドローム」 どうやら一番身近で介護をするものが悪く言われるのは世界共通の悩みらしい。