愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

今日も母が起きてこない

認知症が進んできたのもあるけれど、私が6時に起きれば6時半に、7時に起きればやはり30分ほど遅れて起きてきていたのが、寒くなってからは9時過ぎても起きてこなくなった。

 

93歳にもなると、いつもの時間に起きてこないと頭に浮かぶのは、異常事態のことばかり。苛立つ気持ちと不安な思いで母の部屋をのぞくと、布団の中からギョロリと目をあけてこちらを見る。

 

その瞬間、安堵の気持ちと同時に腹立ちが爆発する。

「ちゃんと時間に起きてくださいよ。貴方の歳で起きてこないと死んだかと思うでしょ!」と、とんでもない言葉を起き抜けから浴びせかけてしまうのだった。

 

私の自己嫌悪は毎日激しく繰り返される。

なぜなら、福祉の職場に就き介護保険発足後はケアマネジャーを生業とし、その後は障がい者の相談員の仕事も兼ねて数十年の間、医療福祉業界でおこがましくも他人様に教育を施してきた身だったからだ。

 

「大丈夫、具合悪くない?そろそろ起きましょうか」となぜ、言えない?

長年、利用者様にはそれができていたではないか。本人、家族から親身で優しいね~といわれた私はどこへ行った?!

 

理屈では抑えられない、この感情はいったい何なのだろう。

「なんでわからないの?」「何度言ったらわかるの?」「だめだと言ったでしょう!」「何回同じことを言うの?」

あはははは。自分で笑ってしまう。

これではかつての利用者さんの家族と同じではないか。

 

仕事のように冷静に割り切って対応できない。こんなに感情が動くなんて、いつも腹立たしくて、情けなくて、素直になれないものだとは思わなかった。

母が好きな、毎年咲くクリスマスローズ

また、母が部屋に来る足音がする。エアコンが効かないといってくるのだと、すでに分かっている。もう、リモコンの使用法が理解できない。

エアコンにリモコンを向けるだけで、温度ボタンが使えない。「温度が上がらないのよ、壊れてるみたい」と真顔で訴える。何度教えても覚えない。

母がドアを開けると同時に私の罵声がひびく。「わーかったから、今行く」

おまけに母はひどい難聴ときているので大声を出す必要があり、なおさら乱暴に聞こえる。

父の死は、まだ仕事の現役中だったため施設を利用し病院で見送ったが、幸い母は会社を引退するまで長生きしてくれ、自分の集大成のつもりで母だけは自宅で看取るつもりでいるのだが、考えていたことと現実が、あまりに勝手がちがいとまどっている。

あ、また母の足音がする・・。