愛犬と海と日常

貧乏性を抜け出して優雅に時間を使えないものか

母の偏食には付き合ってられない!

宅配弁当ありがとう

もともと調理が好きではなかった母は、早くから老人食の宅配利用を始めた。

まだ気丈で料理の味に不満が多かったため、私の作るものにことごとく文句をつけて口にしなかったのだ。とうぜん宅配弁当にも満足するはずもなく、何社変更したかわからない。もっともこれまで、仕事で認知症の方々と多く接してきた中で、他の方と同じように母もまた例にもれずということなのだが。

 

どんなにおいしいものでも長く食べるとどうしても飽きてくるらしい。私自身も事業が多忙を極め、外食の時間もなくて惣菜を買って帰ることが多かったころ、幾種類かの配食弁当を利用したことがある。

 

初めは、栄養バランスも良く帰宅後すぐ食べられて、贅沢言わなければうまい!と感動したものだが、一ヶ月も食べ続けると、飽きた。

なぜならベースが同じ味なわけだから、食傷してしまうのだ。そこで別の業者の弁当に変える。

 

これなら粗食でも自分で作った味が一番合う、との結論に至ったのだが、自分で調理が出来ない(というよりしたくない)認知症の母はそうはいかない。必然、転々と業者をめぐることになる。

 

母もそのたぐいで何社変えたか自分ではわからなくなっている。

ただ、「これなら前の方が良かった」など言い出すため、いつも新規のお弁当屋さんというわけではなく、何社かを行ったり来たりするわけだ。

配達員さんたちは心得たもので、依頼したり断ったりを繰り返して気兼ねする家族に、笑顔で答えてくれる。

ただ、母がいちばん継続したところが一社ある。やはり、二度ほど依頼とお断りを繰り返したが、結局そのお弁当に戻るのだ。この頃は、もうその前にどこからとっていたのかを覚えていない。

どころか、先日初めて私の作ったものに「あー、おいしい!」と笑顔で言ったときには、あまりの驚きで絶句した。そして完璧に認知症が進んだことを理解した。

 

93歳にもなると毎日動いて、食べて、出していてくれればそれだけで良い。

ここ数年、食べ物の志向が日替わりで変化するようになった。一度美味しいと言ったからといってずっと好物になることはない。その日の体調や気分によって、好みには一貫性がない。認知症の症状は動く。

青魚を絶対口にしない母だったが、なますのサバを抵抗なく食べてみたり、大好きだったぶり大根を「私は昔から嫌い」と言ったりする。

だから、これが好き、おいしいと言っても真に受けない。喜ぶだろうと同じものを作ったときは何も覚えておらず、その日の舌でそっぽ向かれるに違いないからだ。

 

介護する方も学習してストレスになりそうな事柄を避けていくようになる。

 

食も細く、あれこれ食べられなくなった母には、老人食以外のカロリーの高いものも食べてもらう。美味しいと思えればそれで良い。

 

私の料理を食べてくれるようになった母だが、配食弁当を断るつもりはない。

なぜなら、これほど適量ずつ何種類もそろって、栄養のバランスが取れるものはないからだ。

毎日、自分で作る体力も気力もない私には、「配食弁当ありがとう」でしかない。