は~~あ、は~~あ、とため息ばかりの生活が続いた。ナツが居なくなってから翌週には普通の生活に戻したものの、一人になるともういけない。
ナツに会いたくてたまらない思いをどうしようもなかった。フウタが吠える、なぜか吠える。思わず抱き上げるが、無意識にナツの面影をフウタに見出そうとしている自分がいた。
友人たちが遠巻きに慰めてくれる。まるで、思い出すだけで心が崩れていくことをわかっているように。
その心づかいがあたたかかった。そんな中で、どこからか耳に入ったのだろう、ご無沙汰の友人からメールが来た。
その人は昔から保護猫を多頭飼いしており、若いころ病気で配偶者を亡くしたあと、ひとりで二人の子供を育て上げた。
同業で知り合ってからは、同じ職場に居たこともあったが、人間関係が不得手で周りからの評価は低かったように記憶している。
「だって教えてあげないとかわいそうじゃない」と言って、直接本人に「あの人があなたの悪口を言ってるよ」と告げに行くような人だった。
慣れないうちは意地悪かと思いもしたが、次第にそうではなく、彼女は純粋にそう考えて発言していたのだと分かってきた。空気を読まないところが随所に見られることになるのだが、彼女の個性と受け取れるようになると、友人たちはそれを楽しむことができた。
学力能力は非常に高く、多くの資格を持っていたのだが、人の気持ちを読んだり臨機応変、場に呼応するなどは全くできなかった。独特な性質を十分匂わせており、たぶん社会的にはとても生きづらかったのではないかと思うが、いつも底抜けに明るかった。
「どう?少しは落ち着いた? ナッちゃんのことたくさんおもってあげて。悲しいけど記憶は薄れてしまうから、今のうちに一から十まで思い出してあげて。フウちゃんのこといっぱいかわいがってあげて」
そのメールに胸が詰まった。なんて率直なきもちだろう、なんてストレートな思いだろう、その瞬間から苦しくてたまらなかった涙から、とてもあたたかい涙に変えることができた気がする。
一度も弱みを見せなかった彼女が、心のなかを垣間見せてくれたようだった。
あの笑顔の中にかくされた、きっとご主人を亡くした時の壮絶な思いや、保護猫たちの数知れない別れの痛みが少し見えた気がした。彼女の言葉でわたしの緊張がほどけた。
思わず、フウタをごめんねと言って抱きしめた。
フウはナツの代わりじゃないよ。そういえばいつもナッちゃんの二番手だったね。
いつもナッちゃんを見習って、ナッちゃんの陰で生きてきたのかな。
もしかしたら、フウは自分のことを見てほしくていたずらをいっぱいしていたのかな、今頃いろんなことが思い当たる。ナッと散歩しているとよく途中で座り込んで歩かなくなって、仕方なく抱えて帰ってきたりしたねえ。
老犬のナッちゃんがハア、ハア歩いているのに、キミが抱っこされてるものだから、道行く人に「あらあら、反対じゃないの」と笑われたっけか。
あー、ごめん! ごねんねー、フウタ。
はじめてフウタをしっかり見たような気持ちになる。
キミももう10歳。またいつか別れが来るのだろうけど・・もうそんなことは恐れない。キミといっぱい楽しい思い出を作ろうね。
ナッちゃんが居なくなっていちばんさみしいのは、案外キミなのかもしれないね。
なんたって、うちに来た時からナッちゃんが居てくれたのだから。
よく吠えられて(怒られて)フウには厳しいオカアサンだったけどね。
直近のインスタの写真を見たと、いちばん気のおけない友達からうれしい言葉をもらった。
「フウちゃん、なんだか変わったね、いい顔になったよ」